コロンビア大学のコア・カリキュラム(2)

コロンビア大学のコア・カリキュラム(1)http://d.hatena.ne.jp/adawho/20100205の続きです。


コロンビア大学が一、二年生全員に課しているコア・カリキュラム。その運営システムについて述べる前に、もうひとつ科目を具体的に見てみよう。

"Contemporary Civilization in the West" (以下、CC) と並んでコロンビア大がコア・カリキュラムの中心的な科目と位置づけているのが "Literature Humanities" (以下、LH)である。これは一年生の必修科目であり、CCと同じように一週間に4時間割り当てられている。ただしシラバスを見るかぎり、一週間に一日しか指定されていないので、たぶん二時間の枠が一日二コマ続くのだろう。これも実際にシラバスを見ることができる。


LITERATURE HUMANITIES: (前期)

第一週
Homer, ILIAD


第二週
Choice 1*(Sappho’s LYRICS)
HYMN TO DEMETER


第三週
GILGAMESH
Homer, ODYSSEY


第四週
ODYSSEY
Herodotus, THE HISTORIES: Bk 1: ch.1-140;178-216(pp.3-64;78-94);Bk II: ch.1-5; 33-51; 85-90; 112-20 (pp.95-7; 108-16; 126-8; 137-41); Bk  III: ch.1-38; 61-88 (pp.169-86; 195-208); Bk VII: ch.1-60; 100-52; 187-239 (pp.404-29; 438-57; 470-88); Bk VIII:ch.111-2; 140-44 (pp.526-7; 536-40); Book IX:ch.120-2 (pp.588-90)


第五週
Aeschylus, ORESTEIA


第六週
Sophocles, OEDIPUS
Euripides, MEDEA


第七週
Choice 2*(other plays of Sophocles or Euripides)
Thucydides, HISTORY OF THE PELOPONNESIAN WAR : Bk. I:pp. 35-87; 118-23; Bk. II:124-173; Bk. III:194-245; 400-408; Bk. VI:414-429, 447-9, 465-70; Bk. VII: 525-537


第八週
Thucydides
中間考査


第九週
Aristophanes, LYSISTRATA


第十週
Plato, SYMPOSIUM


第十一週
GENESIS


第十二週
JOB


第十三週
LUKE
JOHN


第十四週
Review
Choice 3*(other Biblical texts such as Samuel I & II (Biblical heroes) or the Book of Esther)


ところどころにある"Choice"というのは、ここで括弧内の作品をさらに選んでもいいし、進み具合の遅いクラスはここで挽回するというように、調整コマとして機能しているらしい。

前期の課題図書はホメロスイリアス』、『オデュッセイア』、『ギルガメシュ叙事詩』、ヘロドトス『歴史』、アイスキュロス『オレステイア』、ソフォクレスオイディプス王』、エウリピデス『メディア』、トゥキディデス『戦史』、アリストファネス『女の平和』、プラトン『饗宴』、創世記、ヨブ記、ルカ書、ヨハネ書。

古代ギリシャと聖書でほとんど前期が終わってしまうという驚愕のスケジュール。次に後期も見てみよう。


LITERATURE HUMANITIES: (後期)

第一週
Virgil, AENEID


第二週
Ovid, METAMORPHOSES Books 1, 12-14, 15.745-870


第三週
Augustine, CONFESSIONS, BKS 1-10


第四週
Dante, 36 Selected Cantos INFERNO 1-5; 9-10; 13; 15; 24-27; 33-34; PURGATORIO 1-3; 10-13; 16-17; 21-22; 24; 27; 30; PARADISO 2-3; 15-17; 27; 33


第五週
Boccaccio, DECAMERON: Prologue (1-3); Day I Intro (4-23) & novellas 1, 2, 3; II: 7, 9, 10; III: 1, 10; IV: Intro (284-291) & 1,2,4,5; V:4,8,10; VI:1;7;9,10; VII: 2, 9;VIII: 3,7; IX: 3, 10; X: 5, 10; Epilogue (798-802)


第六週
Montaigne, ESSAYS: To the Reader, 23;On Idleness, 26-8; On the Power of the Imagination, 36-48;On Cannibals, 105-19;On Repentance, 235-50; On Experience, 343-406


第七週
Shakespeare, KING LEAR


第八週
Shakespeare
中間考査


第九週
Cervantes, DON QUIXOTE: Part I:Prologue, ch.1-36; 45-52; Part II: Prologue, ch.1-3;8-15;22-23; 30; 40-1; 45; 72-74


第十週
Choice 1(Lyric poetry)
Austen, PRIDE AND PREJUDICE


第十一週
Austen, PRIDE AND PREJUDICE
Dostoevsky, CRIME AND PUNISHMENT


第十二週
Dostoevsky, CRIME AND PUNISHMENT


第十三週
Woolf, TO THE LIGHTHOUSE


第十四週
Choice 2(a 20 century text)
Review


ウェルギリウスアエネーイス』、オウィディウス『変身物語』、アウグスティヌス『告白』、ダンテ『神曲』、ボッカチオ『デカメロン』、モンテーニュ『エセー』、シェイクスピアリア王』、セルバンテスドン・キホーテ』、オースティン『高慢と偏見』、ドストエフスキー罪と罰』、ウルフ『灯台へ』。

一年を通して古代ギリシャ・ローマに始まり、ボッカチオ、モンテーニュあたりからヴァージニア・ウルフにいたる加速感がすごい。ちなみにこのLHの課題図書は時代によって変化しており、1937年の科目創設時から現在まで指定されつづけてきた〈不動の〉作品は5つしかない。ホメロスイリアス』、アイスキュロス『オレステイア』、ソフォクレスオイディプス王』、ダンテ『神曲』(のなかの「地獄編」)、シェイクスピアリア王』である。

近現代の作品に限っていえば、長い間スウィフト『ガリヴァー旅行記』やゲーテファウスト』が指定されていたこともあるし、短期間ながらフィールディング『トム・ジョーンズ』、メルヴィル『白鯨』、スタンダール赤と黒』、バーナード・ショー『人と超人』、カフカ『変身』などがリーディング・リストにあがったこともある。

何度でも繰り返すが、これはコロンビア大学の一年生が文系理系を問わず全員履修する必修科目である(厳密にいえば、制度的に漏れる学生も出てくるのだが面倒くさいので割愛)。

これはある意味で先に紹介した二年生の必修科目 CCよりも衝撃的かもしれない。CCがあくまでも政治思想や哲学に根ざした科目であるのに対して、こちらは基本的に文学作品である。これを、一年生全員に課し続けるというのは、よほど長い歴史や伝統がないと不可能だろう。

たとえば僕が帰国して、本務校の教養教育にこのようなカリキュラムを提案したとしてもほとんど相手にされないと思う。仮にこれまで日本という国を形作ってきたと思われる古典──それには当然、日本だけでなく中国やインド、そして西洋の古典が含まれるのだろうが──を一、二年生全員に課しましょうといったところで、ああやっぱりこいつ頭おかしかったんだ、で終わってしまうはずだ。それとも、いわゆる大綱化(91年?でしたっけ?)以前は日本の大学でもこういう科目を設置していたところはあるのでしょうか。

もちろん、コロンビアのコア・カリキュラムに対しても多くの批判はある。まず容易に想像できるのが、この西洋中心主義的なリーディング・リストに対する疑義であり、これは1960年代以降の反体制運動の中でかなり批判されてきたという。歴史的にいえば、1919年にCCが創設されて以降、多くのアイヴィー・リーグの大学がコロンビアのこのカリキュラムを参考に教養課程のカリキュラムを組んだらしい。ところが、それこそ公民権運動やフェミニズム運動の高まりを受けてこうした白人/男性中心主義的なコースは批判され、いまでは他の大学ではかなり変更を余儀なくされているという。だからいまだにこうしたコースをかたくなに維持しているコロンビアは、アイヴィーの中でも〈保守的〉だといえるのかもしれない。

だが、そうしたコースそのものの政治性/イデオロギー性といったたいそうな話ではなく、日本の大学に務めるひとりの教員として、ごくごく素朴に「よくこんな科目をいまだに維持できているな」と思う。学生の古典離れや文学離れは今に始まったことではないし、それも日本に限った話でもない。たしかにものすごくざっくりしたレベルでいえば、日本よりもまだアメリカの方が「古典」に対する敬意は残っていると思う。でもそれは簡単に比較できるものではなくて、たとえばアメリカでコロンビアなどのアイヴィー・リーグに入る学生は偏差値だけでなく〈階級的にも〉上流であり、そうした人々の間で「古典に対するリスペクトはある」といっても、どちらかというと大衆教育の側面が強い日本と比べるには無理があるだろう。

ようするに、昨日のAの反応ではないが、コロンビアの学生だってこんな科目を楽しみにしているわけはないと思うのだ。なんで物理学科に入ったのに、一年中アイスキュロスやダンテやセルバンテスを読まなければならないんだ、というのは自然な反応である。そしてさらに重要なのは、いったい誰がこんなコースを教えられるのかという問題だ。現在の学問的な枠組みからいえば、当然このリーディング・リストすべてをカバーするような「専門領域」はありえない。教える側にしても、こんなに面倒くさいコースはないはずだ。

単純な計算をしてみよう。コロンビア大学の学部生の数は約4000人である(コロンビア大学の学部はColumbia Collegeの他に、School of Engineering and Applied ScienceとSchool of General Studiesがあるのだが、ここではColumbia Collegeに話を限る)。つまり1年生は約1000人だと考えていいだろう。それが、1クラス22人に分かれてこのコースを履修するのだとすると、このコースを教えるために少なくとも45人の教員を毎年確保しなければならないのだ。いったい誰が教えていて、そもそもどういう組織がこのコア・カリキュラムを運営しているのか。次回はこうしたことについて書きます。(さらに続きます)。

コロンビア大学のコア・カリキュラム(3) http://d.hatena.ne.jp/adawho/20100211 に続きました。

(3/1 追記:コメント欄で指摘していただいたとおり、大学に入学した時点ではまだ学生の専攻は決まっていません。なので、このエントリー内にある「なんで物理学科に入ったのに、一年中アイスキュロスやダンテやセルバンテスを読まなければならないんだ、というのは自然な反応である」という記述に関しては誤りです。訂正いたします。ただし、大学の履修案内のページに "If you are considering a major in the humanities and social sciences, you should in your first two years take a combination of Core courses and introductory-level courses in disciplines that interest you and that you would like to explore as potential majors or concentrations. If you are considering a major in the sciences, you must focus on the required introductory science and math courses in your first two years."とあるように*1、入学した段階で学生側もある程度専攻を見据えて履修科目を選択するようです。)