『ロスト・ロスト・ロスト』@イメージフォーラム(Lost Lost Lost 1975米:Dir. Jonas Mekas)
「長編実験映画の快楽」 と題されたシネマテーク・シリーズの一作として上映。ニューヨークにあるアンソロジー・フィルム・アーカイヴズ の設立者であり、映像作家で詩人のジョナス・メカス。彼がナチスの占領により故郷のリトアニアを逃れ、アメリカへ渡った1949年から63年までに撮影した映像を6巻に編集した日記映画。
作品は第二次大戦後のニューヨークの映像で始まる。車の往来は激しく、家族が食事を楽しんでいる。街は活気にあふれ、人々は幸福そうに見える。しかし、大戦中に強制収容所から脱走し、やっとの思いでこの都市に降り立ったメカスは、そうした風景を前にして困惑する。「戦争は本当にあったのだろうか」と彼は問いかけずにはいられない。
カメラはすべてを記録しようとする。ニューヨークのリトアニア系移民のコミュニティー。冷戦の拡大と反核運動の隆盛。友人たちとの旅行。メカスは、そうした一つ一つの風景やエピソードを丹念に追い続ける。また、それは作品の前半にタイプライターの映像が頻出することと無関係ではない。あたかもテキストを打ち出すかのように、メカスは映像によって自らの歴史を記述しようとしているのだ。舞踏会で踊る男女やメリーゴーラウンドのイメージのように、すべての出来事はカメラの前で回り続けている。
だが5巻目あたりから、映像のリズムに変化が生じ始める。「俳句」と題された無作為なイメージの羅列が挿入され、あからさまな「物語」は切断されるようになる。映像は反転し、切り刻まれ、痙攣する。水面に反射する光がフィルム上に散乱し、映像の焦点が意図的にぼかされる。もはやカメラは対象を捉えるべく固定されているのではなく、カメラそのものが旋回し始めるのである。
断片化する記憶と、構築される歴史。故郷リトアニアへの想いと、新天地アメリカでの日常。
作品の最後には、メカス自身の次のようなナレーションが添えられている。「・・・ときどき、彼は自分のいる場所が分からなかった。現在と過去が混じり合い、重なり合った。やがて、どこも本当に自分の場所ではなく、どこも自分の故郷ではないので、どこであろうとも即座に、そこの人間になる習慣が身に付いた。・・・」
三時間近い作品だが、その美しさにただただ圧倒された。