Standing in the Shadows of Motown (2002, Artisan 2003) 2DVDs(『永遠のモータウン』)

昨年アメリカで公開されたドキュメンタリー映画で、モータウンサウンドを支えたミュージシャンにスポットを当てたもの(公式サイト )。どうやらシネカノンが配給権を取ったようで (『永遠のモータウン』)、日本でもいずれ劇場公開(あるいはDVD化)されるのだろうけど、こればっかりは待ってられないので一足早くアメリカ・アマゾンでDVDを購入。本編が収録された一枚と、特典映像満載の一枚の二枚組。

念のためにいっておくと、リージョン・コードが1なので、日本のDVDプレーヤーでは原則的に再生できないはず。仕方がないのでパソコンで観たけど、iMacのリージョン設定変更は4回までとなっている。ウザいなあ。だいたいハリウッドの利権を守るためだけのこの制度、なんとかならんのか。もちろんリージョン・フリーのプレーヤーがたくさん出てるのは知ってるけど、そういう問題じゃないだろ。

この映画には原作があって、邦訳も出版されている(Dr. Licks _Standing in the Shadows of Motown: The Life and Music of Legendary Bassist James Jamerson_ [Hal Leonard 1991]、坂本信訳『伝説のモータウン・ベース?ジェームス・ジェマーソン』[リットーミュージック、1996])。タイトルは映画と同じだけど、本の方は副題が示すとおりベーシストのジェームス・ジェマーソンに絞った内容で、どちらかというとベース奏法に関する具体的なテクニックを紹介した教則本に近い。

それに対して、映画は「ファンク・ブラザーズ」と呼ばれるモータウンのバック・バンド全体を描き出している。モータウンというレコード会社にとって、いかに彼らの存在が重要であったかが数々の証言とともに紹介され、その合間に現在活躍中のアーティストがファンク・ブラザーズをバックにモータウン・ナンバーを唄うという構成。とはいっても、ジェームズ・ジェマーソンをはじめ、ドラムのベニー・ベンジャミンやキーボードのアール・ヴァン・ダイク、それにギターのロバート・ホワイトなど、いわゆる「一軍」の面々が亡くなってしまったので、実際に演奏しているのはボブ・バビット(b)、ユリエル・ジョーンズ(dr)、リチャード・"ピストル"・アレン(dr)、ジョーメッシーナ(g)、エディー・ウィリス(g)、ジョニー・グリフィス(key)、ジョー・ハンター(key)など。これでも十分すごいけど(笑)。出演は他にジェラルド・レヴァート、ブーツィー・コリンズジョーン・オズボーン、ミシェル・ンデゲオチェロベン・ハーパーチャカ・カーン

モータウンに少しでも興味があれば間違いなく楽しめる内容だし、個人的にもいろいろ発見があった。とくに、キャピトルズの「クール・ジャーク」(1966)のバックで演奏していたのがファンク・ブラザーズだったとは驚き。当時、彼らはモータウン以外でもデトロイトで多くの仕事を請け負っていて、これもそのなかの一曲らしい。1991年に発売されたアトランティック8枚組のパンフレットを確認してみたけど、「クール・ジャーク」のクレジットは"personnel unknown"になっている。ドラムのフィルインが明らかにモータウンっぽいと思ってたら、そういうことだったのか。

ただ、これまで一般的にメディアで紹介されてきた「ファンク・ブラザーズ」のイメージに若干の修正が加えられた印象はある。モータウンという企業は、ベリー・ゴーディーを始めとして経営陣やスタッフ、それにミュージシャンやアーティストのほとんどが「黒人」であるというイメージにこだわってきた。それはモータウンに批判的な評論家も受け入れていた前提で、「それにもかかわらず白人に媚びるような音楽を製作した」というのが日本のコアな黒人音楽ファンの(すくなくとも80年代半ばまでは)常套句となっていたはずだ。

ところが、この映画ではむしろ音楽製作の現場における黒人と白人の共同作業が随所に強調されている。それを象徴的に表しているのが解説の合間に挿入されるライブ・シーンで、そこでは白人のボブ・バビットとジョーメッシーナが他の黒人メンバーに混じって「ファンク・ブラザーズ」として全編にわたり演奏している。ジェマーソンが既に亡くなっているので仕方がないといえばそうだけど(それにジョーメッシーナは「一軍」として当時から活躍していた)、これまでの「純」黒人企業のイメージから意図的に排除されていた部分がここにきて露わになった印象は否めない。

また映画では、60年代後半に人種暴動が激化した際、白人であるためにかえって居心地の悪い思いをしたのではないかとンデゲオチェロがボブ・バビットに問うシーンがある。バビットは当時を思い出したのか、感極まって"I always felt I was one of them"と他の黒人メンバーに対する想いを口にして涙ぐむのだが、これは政治闘争の影で白人と黒人の固い絆が存在したことを印象づける格好のエピソードだといえるだろう。もちろん、モータウンという限定的な環境下ではむしろ白人がマイノリティーに反転している点に注意しなければならないが、そのような立場のバビットが黒人ミュージシャンと同等の地位を勝ち取った経緯が映し出されることで、よりいっそう観客のカタルシスを誘う仕組みになっている。

そもそもモータウンには白人バンドも所属していたりしたので(レア・アース!)、レーベルに対する白人の貢献を描いたこの作品は、これまで過剰に誇張されてきた「黒人企業(なのに白人っぽい)」のイメージを修正する意味でも評価に値するのかもしれない。そういえば、サザン・ソウルの牙城、スタックス・レーベルは創業者(エステル・アクストンとジム・スチュアート姉弟)もハウス・ミュージシャンの中にも(スティーヴ・クロッパー、ドナルド・"ダック"・ダン)白人が多かったことは当初から知られていたにもかかわらず、音楽的には「モータウンに比べてクロい」と言われていた。この辺の幾層にも屈折したオリエンタリズムの構造はきちんと整理する必要があるかも。

モータウンの裏方に関してはもう一つ微妙な問題があって、その点はこの映画でもまったく触れられていない。それは、「ロサンゼルス班」の存在だ。モータウンデトロイトを引き払ってLAに拠点を移したのは、正式には69年頃ということになっている。ジャクソン5が移転後の代表的なグループなのはいうまでもない。また、これもよく知られていることだが、ロサンゼルス班には先日HEY!HEY!HEY!出演を果たしたデイヴィッド・T・ウォーカー(g)やアール・パーマー(dr)の他に、キャロル・ケイ(b)やエド・グリーン(dr)など白人ミュージシャンが数多く所属していた(ハル・ブレイン(dr)が参加していたという説もある)。

問題は、モータウンがロサンゼルスに事務所を立ち上げたのはいつだったのかということだ。たとえばキャロル・ケイは自身のサイト で、62、3年頃からモータウンのトラック製作にかかわっていたと証言している。これが事実だとすると、これまでジェマーソン&ベンジャミンのコンビによる演奏だと思われていた曲のなかには、ロサンゼルスで製作されたものも存在するということになる。『急がば廻れ'99?アメリカン・ポップ・ミュージックの隠された真実』(音楽之友社、2002)の著者で翻訳家の鶴岡雄二氏 も同様の主張を展開している。

仮にこの説が本当だとして、なぜロサンゼルス班の存在が隠蔽されなければならないのか。白人が音楽製作にかかわっていた点は認めても、「モーター・タウン」=モータウンというデトロイトのイメージだけは譲ることができないということか。たしかに、60年代初頭からロサンゼルス班が活動していたとなると(モータウンの全楽曲のうち、40%がLAで製作されたと主張する人もいる)、当時チャートでしのぎを削っていたビーチ・ボーイズと演奏しているミュージシャンが一緒(キャロル・ケイ&ハル・ブレインのコンビはまさにそうだ)ということになって、いささか都合が悪いのかもしれない。

ちょっと気になったのは、原作者アレン・スラツキー(Dr. Licks)がさりげなくファンク・ブラザーズに混じってステージ上でギターを演奏していたこと。うーん。彼こそがファンク・ブラザーズの神話化とロサンゼルスの抑圧、隠蔽をなしとげた張本人だとすると、気になる動きではある。

とまあ、いろいろ突っ込みどころがあるにせよ、とても良くできたドキュメンタリーになっていると思う。ジョーン・オズボーンがカヴァーするジミー・ラフィンの"What Becomes of the Broken Hearted"がカッコいい!