『キル・ビル Vol. 1』@池袋シネマサンシャイン(Kill Bill Vol.1 2003米;Dir. Quentin Tarantino; Uma Thurman, Lucy Liu, Sonny Chiba, Chiaki Kuriyama)

とにかくバカ映画だから思いきり笑い飛ばしてやろう、という心づもりで見に行ったのだが、映画の途中で本気で感動している自分に気づいて動揺する。スクリーンに映し出される映像はことごとく荒唐無稽なので、今振り返ってもいったいどこで感動したのかすらはっきりしない。ただ、本当に素晴らしい映画だと感じたことだけは確か。國村準も、役者をやっていて良かったと思ったはずである。

キル・ビル』は、これまでのタランティーノ映画にも増して「元ネタ」参照度があからさまである(ユマ・サーマンが『死亡遊戯』の黄色のつなぎを着てる時点でそれは明らかだ)。本人が公言しているとおり、この映画には70年代の様々なジャンル映画や exploitation film(ヤクザ映画、カンフー映画マカロニ・ウェスタンブラックスプロイテーション・フィルムなど)の引用が散りばめられている(はずだ)。そもそも映画を見て「笑い飛ばす」という行為は、タランティーノ映画とそれを構成する様々なジャンル映画に対する二重の視線が可能にするものだ。それは、実際の映画と「元ネタ」との距離を「斜めから」測定することで、「ほほぉ、そのように引用しましたか」と感心してみせたり「ほんっとにバカだなあ」と共感を表明したりすることを可能にする。いずれにしても、直接的な感動よりもクールで冷めた鑑賞に向いた映画だという気がするのだが(見終わったあともそう思う)、これに本気で感動してしまうとはいったいどういうことだ(苦笑)。

あと、来日したタランティーノが記者会見の席で"Lost In Translation"のTシャツを着ていたような気がするが、あれには何か意味があるのだろうか。ソフィア・コッポラに頼まれたのか?公開は来年2月だそうで、これもケヴィン・シールズが曲を書き下ろしていたり、はっぴいえんどの曲が収録されていたりと、サントラがやたらと話題になっている映画。