Displacement
27日、Sさんをゲストスピーカーに迎えての講義。今回は対談形式でやってみる。業界の厳しさや編集者が実際に行っている作業の話など、さすがに文学部だけあって学生も食い入るように聞いている。今日のためにSさんもかなり準備してくれていたので、あっという間の90分。最後のワールド・ミュージック入門もとても好評。
夕方から『人造美女は可能か?』出版記念パーティー@銀座にお邪魔する。昨年のシンポジウムに端を発して書籍化された本著、報告が遅れましたがご恵投いただきました。ありがとうございます。会場はハロウィンにちなんだコスプレやドラァグ・クイーンの方々も参加する華やかな雰囲気。昨年の『ユリイカ』(攻殻機動隊特集)でご一緒した夏一葉さんを紹介していただき、ひとしきり盛り上がる。Oさんと初対面。今後のスケジュールや可能性についていろいろお話を伺う。
- 作者: 巽孝之,荻野アンナ
- 出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会
- 発売日: 2006/08/30
- メディア: 単行本
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28日、映画美学校音楽美学講座メイヨ・トンプソン氏(レッド・クレイオラ)特別講義@アテネ・フランセ文化センター。
トンプソン氏の通訳として参加。コーディネーターは岸野雄一さん、ゲストに中原昌也さん。最初、壇上で岸野さんに丸投げされそうになり一瞬かたまるが、むりやり投げ返してことなきを得る。前半は岸野さん司会で教育や音楽についての話。後半は、今回のレッド・クレイオラ・ツアーを企画されたmapの小田さんも加わり、越境をくり返してきたトンプソン氏の都市論が中心。
40年近いキャリアの中で、ヒューストン、ニューヨーク、ロンドン、デュッセルドルフ、エジンバラと移動をくり返してきたトンプソン氏。しかし、それは主体的に行動してきたというよりは、むしろ状況に流されるままに応じてきただけだということを強調していた。ニューヨークでのArt & Languageとの交流、ロンドンでのラフ・トレードでの活動など、常に一定の距離を保ちつつ状況にコミットするという彼のスタンスが、昨今の再評価に繋がっているのだろう。そしてそれは、トンプソン氏の音楽に対する姿勢─あらかじめ構想をデザインするのではなく、想定外の出来事を受け入れること─と共通するものだ。
レッド・クレイオラの創設メンバー、フレデリック・バーセルミと作家のフレデリック・バーセルミが同一人物であることを初めて知って驚いた。フレデリックはドナルド・バーセルミの弟であり、短篇集『ムーン・デラックス』は翻訳も出版されている。トンプソン氏は二十代の頃にドナルドとも交流があったそうで、ニューヨークの彼の部屋に寝泊まりしていた時期もあるそうだ(ちなみにドナルドのもう一人の弟、スティーヴ・バーセルミも作家である)。
岸野さんと小田さんが進行を担当し、中原さんが絶妙な突っ込みを入れながら(「メイヨさん、合理主義と資本主義ばかりがのさばるこの状況をなんとかしましょうよ!戦いましょうよ!」「君がそのつもりならいつでも連絡をくれ」)、約3時間にわたる講演会も無事終了。みなさんの言葉をうまく伝えられたかどうか、はなはだ心もとないが(実際、情報量がリミットを越えて頭が真っ白になりそうな瞬間が何度かあった)なんとかベストは尽くしましたのでご容赦ください。
講演後、mapの小田さんと福田さんの音頭で打ち上げ会場へ。トンプソン氏にジョン・フェイヒーやユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカ*1との交流、それにドナルド・バーセルミについて伺う。途中から文学の話になり(というより、気を遣ってもらったのだと思う。本当にいい人でした)、メルヴィル、ジェイムズ、ベケットの話など。ナボコフの名前を出すと、すぐに「彼もdisplacementの作家だ」と反応していた。トンプソン氏にとって、移動とは自らの意志ではなく、迫られて場所を開け放つ(dis-place)行為である。にもかかわらず、ある場所へ/ある場所から移動したという事実は消すことができない。彼にとってテキサスとは、そしてアメリカとはそのような宿命的な場所なのだろう。
トンプソン氏と奥様を見送ったあと、中原さんに誘われてゴールデン街へ。人生について愚痴りあう。と同時に、中原昌也の目眩がするような教養の深さを垣間みる。途中、常連の方々と映画の話になり、シャマランの話題でつい声が大きくなってしまう。すみません、最近シャマランのことしか考えられないのです。少々仕事を残していたので、後ろ髪を引かれながら真夜中過ぎに帰宅。