シベ少、ヒップホップ

シベリア少女鉄道『俺たちに他意はない』@赤坂RED/THEATER

シベ少の舞台の基本的な構造を備えた作品。この劇団の真骨頂ともいえる前半と後半の転換部分については、以前に推理小説における<密室>と<謎解き>に例えたことがあるが*1、今回は文字どおり舞台上で密室空間が構成されていた。

前回*2インパクトがあまりに大きいので印象としてはやや薄い。それでも後半部分の脚本の執筆過程を想像するだけで目眩がするし、これだけ作品を見続けているにもかかわらず、いまだに後半の「オチ」がまったく読めないというのも驚くべきことだ。

今回、後半部分にスピード感がいまいち感じられなかったのは、役者の身体を拘束する力が弱かったからではないか。役者の演技が自由を奪われ、構造的に「型にはめられてゆく」ことから生じる切実さと滑稽さこそがシベ少の舞台の醍醐味だとすれば、今回は役者が強いられる身体的不自由さに若干欠けていたように思う。とはいえ、これだけ娯楽性と批評性(を本人たちが意識しているかどうかはともかく)を別次元で展開する劇団も少ないと思うし、これからもずっと観続けます。


ところで、今回も「Yさんと愉快な仲間たち」で鑑賞したのだが、観劇後の飲み会が異常な盛り上がりをみせた。といっても、わたしが最近盛り上がる話題はヒップホップしかないわけだが。初対面のIさん(レペゼン厚木)が日本のヒップホップの動向に詳しく、思わず身を乗り出していろいろと伺う。ヒップホップ的妄想力の可能性。レペゼン概念と地方分権ビーフとリスペクト。ビトゥイーン・ユー・アンド・アイ。事態はわたしが想像していたよりも遥かに進んでいるようだ。レペゼン仙台、レペゼン岐阜、それにしてもレペゼン横須賀ってカッコいいぞ。

そこでふと自分のことを考えてみたのだが、これがなかなか難しい。わたしは転勤族の家庭で育ったのだ。「レペゼン・・!」と勇ましく宣言しようとするものの、「・・あ、でも俺、転勤族なんっすよ」って微妙に凹まないか。「ヒップホップ」と「転勤族」ってどこかちぐはぐな感じだ。何かいい呼び方はないのだろうか。ヒップホップ界のサバルタンの地位から脱却するためにも、われわれ元転勤族のヘッズを真に代理/表象する名を切に求む。