近況
前回更新時から1ヶ月。少し体調を崩したりもしたが、なんとか山は越えたような気がする。
10月28日
ネヴィル・ブラザーズ@JCBホール。来日は12年ぶり。入り口でAと待ち合わせ。初めての会場だが、こじんまりとしていい感じ。本編では自分たちの曲だけでなく、ロックンロールやラテン、レゲエなどの曲を取り混ぜていた。ステージ・パフォーマンスがどこか「芸能」よりになってくるのはベテラン黒人ミュージシャンにありがちな傾向だが、今回のライブには「カリブ海音楽としてのニューオーリンズ・ファンク」という明確なコンセプトが感じられた。終演後、ばったりあったS社Mさん(いつもライブ会場でお会いする)にご挨拶、自宅近くに戻って遅めの夕食。
11月4日
夕方、松竹の試写室で『ザ・フー:アメイジング・ジャーニー(The Who: Amazing Journey)』*1。バンドとは何か、ロックとは何かについて考えさせられた。1950年代後半から60年代初頭にかけて生まれたロック・ミュージック─それはアマチュアリズムを肯定するジャンルである。どこにでもいる10代の若者が楽器を手にとり、バンドを組む。音楽的な訓練をまともに受けていない連中が、つぎつぎにレコード会社と契約を結び、あっという間に世界ツアーを敢行する。使い切れないほどのお金と付き合いきれないほどの女が彼らをとりまき、狂乱の60年代とともにロックは世界を覆う。その後、数々のバンドが燃えつきたかのように解散し、多くのミュージシャンは生き急ぐかのように死んだ。そして二つのバンド──ローリング・ストーンズとザ・フー──が、いまにいたるまで第一線で活動を続けている。
その間、キースが死に、ジョンも死んだ。生き残ったロジャーとピート──どう考えても性格的にあわない二人──は、それでもバンドを続けることを決意する。映画のなかでピートはいう。「ロジャーは大変だったと思う。キースは天才だし、ジョンも天才だった。そしてもちろん、俺も天才だからな。」
80年代、90年代をのりきり、2001年のコンサート・フォー・ニューヨーク・シティでのフーのパフォーマンスは鬼気迫るものがあった。
思うに、「ロック」のイメージをそのまま体現したのはローリング・ストーンズではなく、むしろザ・フーではないか。これまで僕にとってザ・フーとはキースとジョンであり、二人がいないバンドには興味がわかなかったのだが、この映画をみて来日公演に行くことにした。映画は11月22日よりシアターNで公開予定。
11月6日
月曜振替授業日。昼頃三田に出勤して講義とゼミ。ゼミでは『ブロークバック・マウンテン』に関する論文を読み、ディスカッション。終了後、学生(と彼女の妹と)と地下鉄に飛び乗り、九段下でAと待ち合わせ。はやる気持ちを押さえるように坂道を上る。Perfume@日本武道館。
良かった。この年になって武道館で泣くとは思わなかった。すばらしかった。1階東側のスタンド席。アリーナを埋めつくす観客の熱狂とステージ上の3人の姿が忘れられない。
それにしても、彼女たちが一曲歌うたびに胸がしめつけられるのはなぜだろう。この洪水のようにあふれる切なさはいったいなんだろう。「近未来テクノポップユニット」──おそらく、ぼくらはその「近未来」をすでに経験してしまっているのだ。ぼくらは想像上の過去で彼女たちを一度失っている・・(この項つづく)。