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ニューヨークに赴任して4年目のSさんから電話がかかってきた。すでに還暦近いSさんが、若いころにAさん──最近、久しぶりに詩を発表したことで話題になった、といえばわかる人にはわかるだろう──と二人で「悪いことばかりしていた」数々の伝説(ぼくの仕事場界隈での話)についてはぼくも聞いている。いまは年相応に枯れて飄々としていながら、どこか死をみすえた諦観がかえって若き日の豪遊ぶりをほのめかし、なんともいえない中年の色気を漂わせている。日本人離れした彫りの深い顔立ちに、優しさと危うさを含んだ眼差し──ぼくが女性ならあっというまに虜になってしまうだろう。

「ああSです。どう、落ちついた?」
「いや、まだとてもとても」
「そう。まあのんびりね。ところで君はウディ・アレン好き?」
ウディ・アレンですか。ええ、まあ」
「じゃあ今晩見にいこう。それで、スーツ持ってきてる?」
「いやあスーツはちょっと・・。ぎりぎりジャケットなら」
「じゃあタイは?」
「えーと、一応ありますけど・・」
「とりあえず絞めてきてよ。じゃあ5時半にグランド・セントラルで」
「あ、はい・・」

ニューヨークでは22日からトライベッカ映画祭が始まろうとしていた。そのオープニングに予定されていたのがアレンの新作 Whatever Works だ。だが、この電話がかかってきたのは20日である。どういうことだろう、とぼくは思った。Sさんが熱狂的なウディ・アレンのファンで、どこかの特集上映でも観にいこうというのだろうか。事前に過去の作品を観なおすことで映画祭に備えたいのだろうか。それにしても、50代と30代の男二人がニューヨークで初めて会う場所に映画館を選ぶとは・・・まさかSさん!

その日、ニューヨークは一日中激しい雨が降っていた。少々緊張しながら待ち合わせ場所に向かうと、定刻どおりにSさんがあらわれた。一見して仕立ての良いダブルのスーツにレインコートの襟をたて、まるでフィリップ・マーロウ(というか、ハンフリー・ボガード)のような装いだ。「ああ、どうも。とりあえず煙草でも吸おうか」とSさん。雨の中、Sさんが煙をくゆらせる姿になぜか胸騒ぎがする。一服したのちに、Sさんはタクシーを拾い運転手にこう告げた。「76丁目とマディソン。」

「きょうは、どこに行くんですか?」
「うん、カーライル・ホテル」Sさんは僕と目を合わさず、雨が滴るタクシーの窓を見つめている。
「ホテル、ですか・・」

さらに緊張する。いくらなんでも直接的ではないか。もう少し前置きというか前振りというか伏線というか、そういったものがあってもいいのではないか。せっかちにもほどがある。でもここはニューヨークだ、とぼくは思い直した。なんでもありうるんだ。そう、なにごとも経験である──いつのまにか、ぼくは自分でも驚くほどポジティブ思考を身につけていた。ただし、ポジティブ思考とは鈍感さの別名でもある。すると、Sさんは突然振り向いてこういった。

ウディ・アレンがそこで演奏しているんだよ」
「あっ!」
「君、音楽好きなんでしょ」

なんというサプライズ。そういえば聞いたことがある。もうかれこれ十年近く、ウディ・アレンはアッパー・イーストのとあるホテルで毎週クラリネットを演奏しているのだ。The New Orleans Jazz Bandを率いる彼のミュージシャンとしての腕前は相当なものだという。一気に期待が高まり、ぼくは別の意味で興奮を抑えるのに必死だった。

かつてはジョン・F・ケネディの常宿として知られ、裏口からマリリン・モンローがお忍びで通いつめたといわれるカーライル・ホテル。ニューヨークを代表するアール・デコ建築のひとつは、こじんまりとして、それでいて格調の高さを誇っている。ドアマンからベルボーイ、そしてカフェのウェイターにいたるまで、すべての従業員がまるで映画の登場人物のようにみえる。

ぼくらはクロークにコートを預け、演奏会場のカフェへと向かった。テーブルはすでに予約で埋まっていたので、カウンターに席を取る。Sさんはバーテンダーと慣れた挨拶を交わし、「マティーニ、二つ」とオーダーした。そういえば、ぼくはこの年になるまでマティーニを飲んだことがない。ふだんは生ビール、おしゃれなデートのときはギネスという振り幅のなかでほぼすべてのイベントをこなしてきたのだ。

「君は、お酒は飲むの?」
「いや、基本的にビールですが・・」
「ビールね」一瞬、鼻で笑われたような気がした。「だったらカリフォルニアの方がよかったんじゃないの?」

深く傷ついた。東海岸はそんなにハードルが高いのか。やはりワインやカクテルくらい日本で嗜んでおくべきだった。アッパー・イーストのホテルにウディ・アレンを見に来るためには、お酒の経験値もそれなりにあげなくてはならないのだ。高田馬場の鳥やすで呑んだくれてばかりいた日本の生活を激しく後悔した。

バーテンダーと三人でしゃれた会話を楽しみながら──バーテンは、メルツバウ、ボリス、そして灰野敬二など日本のノイズ・ミュージックをこよなく愛する男だった(それがしゃれた会話なのかどうか、もはやぼくにはわからない)──主役の登場を待つ。「そろそろですかね」とふとうしろを振り向くと、なんとウディ・アレンがテーブルでクラリネットを磨いているではないか!「Sさん、う、うしろに本人が・・」「ああ、ほんとだ。これはラッキーですね。」半径50センチ以内にウディ・アレンがいるという事実をうまく呑み込めないまま、しばらく目が離せなかった。この小柄な老人がダイアン・キートンミア・ファローなど数々の女優と関係を持ち、あげくの果てに元カノの養女と結婚したのか・・そう思っていると、彼はすくっと立ち上がりステージに向かって歩き出した。
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演奏が始まった。ベース、ドラム、トロンボーン、トランペット、クラリネット、そしてバンジョー。完璧なディクシーランド・スタイルである。かつて英国の詩人フィリップ・ラーキンは「三人の "P" が芸術をダメにした」と述べたが──三人の"P"とは、(パブロ)ピカソ、(エズラ)パウンド、そして(チャーリー)パーカーである──ウディ・アレンもことジャズに関してはモダニズムを否定する立場をとる。即興演奏中心の「芸術」になる以前のジャズ。それはニューオーリンズの港に集う男たちや娼婦たちのための、下品で猥雑で豊饒な音楽である。演奏は後半になるにつれて盛り上がり、やがてそれぞれのメンバーがボーカルをとりながら観客を巻き込んでゆく。そんななか、ウディ・アレンはひとりうつむきながら,決して客と目を合わすことなく黙々とクラリネットを演奏しつづける。下世話でかつエレガントな、圧倒的なステージだった。

演奏が終わり、すでに酔いが回っていたぼくはいつもより大胆な気分になっていた。「どう、楽しかった?」悪戯っぽい笑顔でSさんにこう訊かれたとき、自分でも不思議な感情がわき起こった。「もう本当にすばらしかったです。ありがとうございます!」胸がキュンとしめつけられるような感情だ。このままぼくはSさんについていってしまうのではないか。いったいこの気持ちはなんだろう──ふとそのとき、男同士の友情と愛情の恣意的な線引きについて考えつづけたイヴ・セジウィックのことを憶いだした。彼女がここニューヨークで亡くなったのは、たしか先週のことである。