4

2009年6月25日、MJが死んだ。僕は、自分でも気づかないうちにショックを受けていた。ただ、その気持ちをどのように表現していいのか分からず、とにかく誰かに話を聞いてもらいたいという一心でAに話題を振ってみた。

「ものすごいショック」
「そうなんだ」
「本当に聴きまくったんだよ」
「ふーん」
「僕にとって黒人音楽のルーツかもしれない」
「ふーん」
「・・・」

どうやら彼女はこのテーマで会話を膨らませる気はこれっぽっちもないらしい。でも僕は今、どうしてもこの話がしたいのだ。仕方がない。こちらから質問を投げかけてみよう。

「そういえばAはマイケルのアルバムで思い入れが強いのってどれ?」
「うーん、なんだろう」
「でもリアルタイムで聴いてたでしょ?」
「それはそうよ。でも何かなあ。やっぱりいーおーかなあ」
「え?いーおー?なにそれ。そんなのあったっけ?」
「ほら、あの地球を救うやつ」
「地球を救う?何の話?」
「ほら。あったじゃない。いーおーよ、いーおー」
「それもしかしてキャプテンEOのこと?」
「それそれ!キャプテンEO!」
「ディズニーランドかよ!しかもそれアルバムじゃないよ」
「えーだってわたし三時間も並んだのにたったの15分だったんだよー」
「知らないよ。だいたいいつの話だよ」
「しかも3Dなの!」
「だから知らないって!」

(注:ちなみに、キャプテンEOはべつに地球を救う話ではない)

そもそもAとマイケルの話を共有しようと思った僕が悪かったのだろう。だが、すでに会話は取り返しのつかない段階にさしかかっていた。彼女は何かを思いついたのか、目を輝かせて次のように続けた。

「あ!でもあの曲は好きだった」
「どれ?」
「ほら、あのフーズバーっていうの」
「なにそれ。ドリンクバーみたいなの。そんなのないよ」
「あるって!ほら、フーズバー!っていうじゃない」
「いわないって」
「えーいうよ。ドゥンドゥンドゥンドゥドゥ、ドゥドゥンドゥンドゥドゥ、フーズバー!っていうでしょ」
「・・・それフーズバーじゃなくてただの「バッド」なんだけど」
「そうだっけ?でもフーズバー!っていうよね?」
「いうけど・・」
「ああ懐かしい!あの曲はよくカラオケでも歌ったなあ!仕事のあとみんなで六本木にくりだして、酔っぱらってまわりのサラリーマンにフーズバー!フーズバー!で指差してたの!あのころは楽しかったなー」
「・・・」

このときの会話の無念さをバネに執筆したのが、今発売中の『現代思想』(総特集:マイケル・ジャクソン)に収録されている「紐育滞在記──MJの死、あるいは恐怖のブルース」です。興味がある方は、ぜひ手に取っていただければと思います。