5

10月12日(月)
国際ポー学会帰りの巽先生、笠井潔さん翔さん父子、小森健太朗さん来訪。今日は一日ニューヨークをご案内。10時にホテルで待ち合わせ、まずは72丁目のダコタハウスへ。1980年12月8日、ここでジョン・レノンはマーク・デヴィッド・チャップマンに射殺された。59丁目のセント・ルーカス・ルーズヴェルト病院に運ばれたときにはすでに亡くなっていたようだ。

セントラル・パーク内のストロベリー・フィールズをかすめてから地下鉄のDラインに乗ってブロンクスへ。190丁目あたりのフォーダム・ロードで下車、少しばかり北上すると「ポー・コテッジ」*1がみえてくる。生前、引っ越しを繰り返したエドガー・アラン・ポーの最後の家である。入場できるのは週末だけ。

地下鉄でハーレムまで戻り、125丁目をしばらく散歩。2ラインに乗り換えて86丁目まで。エドガーズ・カフェ*2で昼食。ポーはここに1844年3月から45年8月まで住み、「大鴉」を執筆した。

しばらく休憩を取り、地下鉄の1ラインで一気にダウンタウンへ。チェンバーズ通りで下車、グラウンド・ゼロへと向かう。ウォール・ストリートを流したあと、6ラインで北上、ユニオン・スクエアで降りる。みなさんがフォービデン・プラネット*3とストランド*4を回っている間にぼくは銀行へ。

さらにセント・マークス・ブックショップ*5に寄ってからヴィレッジのカフェ・レッジオ*6で休憩。そしてマクナリー・ジャクソン(本屋)*7まで歩いてダスティンにご挨拶。小森さんはすべての本屋で買い物をしていた。

19時、友人知人も集まり総勢11人でCongee Bowery*8で宴会。翌日午前3時起きの巽先生ご一行を見送ってからさらにもう一軒。有光くんと帰宅して深夜まで話し込む。


10月13日(火)
夕方までひたすら有光くんと話す。あれ、いつ寝たんだ。しかも何話したんだっけ?


10月14日(水)
11時、イースト・ヴィレッジのラママ劇場*9の前で江口くんと待ち合わせ。オフィスでアーカイブ担当者を訪ねるもののまだ出勤していないとのこと。近くのカフェでコーヒーを飲みながら時間をつぶす。このあたりはまだ街が起きていないのか、人もまばら。目の前にはジョン・ヴァルヴァトスの店(元CBGB)があり、ライブハウスが並ぶブリーカー通りが西にのびている。12時半、担当者と連絡が取れ、金曜13時にアポを取る。

江口くんと別れて地下鉄の6ラインで北上。14時にAと病院で待ち合わせ。今日はいつもとは別の医者が診察してくれた。バスで17時ごろ帰宅。

19時過ぎに家を出てリンカーン・センターでオペラ『トスカ』鑑賞。政治犯をかくまう男のソワソワする姿を浮気と勘違いしたり、弾が入っていないと安心させたのにやっぱり入っていて男が銃殺されたり、やることなすことうまくいかない女の話。メトロポリタン・オペラには新しいディレクターが就任したようだが、初日にはブーイングも出たという。正直、オペラはわかりません。


10月15日(木)
夕方まで大学図書館。17時、東アジア学科で待ち合わせてポール・アンドラー氏と飲む。コロンビアで寂しい思いをしていないか気にかけていただく。ゼミや講義も聴講させてもらっているし、そもそも仕事が山積みなのでまったく問題ないとお伝えする。それでもD氏やD女史などいつでも紹介するから、といわれ、二杯目のマンハッタンを傾けていたアンドラー氏はさらにこう続けた。

「何でこんなことを言うかわかるか?」
「いえ、わかりません」
「私は江藤淳先生の薫陶を受けたんだ」
「ええ」
「彼は本当に素晴らしい教師だった」
「ええ」
「だが彼は、本当に悪い時期に、しかもよりによってプリンストンに行ったのだ」
「ええ」
「『アメリカと私』は読んだか?」
「もちろんです」
「彼ほど優秀な英文学者はアメリカにだってそういないはずだ。にもかかわらず、彼はプリンストンで孤独を感じている」
「はい」
「だから、私は君のように日本から来る研究者が疎外感を感じないように、といつも思っている。それは私自身の義務だと思っているんだ」
「・・・ありがとうございます」

1968年にはじめて来日したときのことや、現在の日本の文学シーンについて話す。ソウル・ミュージックが好きだ、というと、70年代初頭にデトロイトの小さな政治集会にマーヴィン・ゲイが来たときのことを嬉しそうに話してくれた。

「それで、アンドラーさんはいつニューヨークにこられたんですか?」
「1980年の9月だよ。その3ヶ月後に、この街でジョン・レノンが死んだんだ」

夜、Lauren SlaterのLyingを読む。
10月16日(金)

夜まで大学図書館1920年代にヘンリー・フォードが買収したデトロイトの週刊新聞、Dearborn Independent誌。その反ユダヤ主義の記事を集めたInternational Jewを読む。

19時ごろ、地下鉄を乗り継いでロング・アイランド・シティのチョコレート・ファクトリー*10へ。江口くんとジョン・ジェスラン演出Liz Oneを鑑賞。エリザベス1世に焦点を当てることで、グローバリゼーションやポスト植民地主義などの現代的な諸問題が一気に上演される。20時半終演。

巽先生ご一行が帰国後もひとりモントリオールに向かっていた笠井翔さんが帰りにうちに一泊することになったので、ビールを買って帰宅。日本のオタク事情についていろいろ教えを請う。


10月17日(土)

9時起床。翔さんは10時半ごろJFKへ。11時、郵便局で荷物を受け取ってから地下鉄に乗ろうとするものの、ダウンタウン行きの電車が運行休止。仕方がないので1ラインの駅まで歩くが、こちらもダウンタウン行きは止まっている。どちらも59丁目まで上がってから乗り換えろとの指示。そんな悠長なことをしている暇はないので、タクシーを拾って西4丁目まで。ところが、途中で運転手が別の方向に曲がろうとするので「なにしてんじゃコラア」というと「工事してるのが見えんのかあ」といわれる。たしかに外を見るとワシントン・スクエア・パークの北側が工事中で迂回せざるをえない。週末のマンハッタンは思うように移動できないのです。「こんなの乗ってられんわあ」と捨てセリフを残して降りる。そして歩く。

カフェ・レッジオ(今週二度目)で江口くんと打ち合わせ。13時、ヴィレッジの事務所(なのか?)でジョン・ジェスラン氏のインタビューに同席。3時間を越える質問に丁寧に答えてくださった。インタビューの冒頭、衝撃的な事実が明らかになり思わず二人で声を上げる。と同時に、80年代がいかに狂っていたかをあらためて思い知る。

インタビュー後、カフェ・ダンテ*11でしばらくお茶。夜、帰宅後DVDを一本観てからLauren SlaterのLyingといくつかの書評と『新潮』を読む。


10月18日(日)

夕方、66丁目まで歩いて『ニューヨーク・アイ・ラブ・ユー』を鑑賞。いろんな意味でどうでもいい映画だと思った。しかも、ナタリー・ポートマンが監督した部分は、つまらないだけでなく看過できない重大な過ちを犯している。プチブルジョアジーの欺瞞をこんなことで暴いた気になっているなら大間違いだっ!との義憤にかられる。

大学に提出するための報告書を書いて送信。Lauren SlaterのLyingとWalter BenjaminのStorytellerと『すばる』を読む。