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10月19日(月)
朝からネタ探し。うーん。すぐ思いつくときもあるのになあ。なんとかかたちにして原稿を送る。
10月20日(火)
13時、お礼も兼ねてAとレイチェルの研究室を訪問。来るべき日々に向けてアドバイスをいただく。14時、大学院セミナー「現代アメリカ小説」。ぼくのような立場の人間がセミナー(講義ではなく演習)に顔を出すのを嫌がる教員も多いのだが(その気持ちも分かります)無理をいって聴講させてもらっている。毎週、過去10年以内に出た長編小説を一冊取り上げ、それと作品にまつわる書評や論文が課題として指定される。セミナーは発表担当者が15分程度のプレゼン(簡単な作者紹介と議論のネタをいくつか用意する)をしたあと、2時間近くディスカッションするというもの。履修者は15人ほど。英文科以外でも履修が可能で、アメリカ研究科やMFA(創作科)の院生が半分ほど占めている。
今週の作品はLauren SlaterのLying: A Metaphorical Memoir。論文と書評がそれぞれ数本ずつ。
- 作者: Lauren Slater
- 出版社/メーカー: Penguin Books
- 発売日: 2001/10/01
- メディア: ペーパーバック
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アメリカ人はどんなときも「自分の意見」があってそれをいつも好き勝手に主張している、というイメージがある。実は僕もこちらに来る前はわりとそれを素朴に信じていたのだが(だから極端にいうと、ディスカッションといってもべつに大したこといってるわけじゃないだろ、とか、どうでもいいことばかり声高に主張してもしょうがないんじゃないの、というような)、大学院のゼミに実際に出てみてちょっと違う印象を抱いた。
もちろん、ディスカッションは2時間近くよどみなく続くわけだけど、議論を成立させるための繊細でデリケートな作法、というかマナーのようなものがあると感じた。日本の「敬語」とはまた違うが、だからといって思っていることをズドーンと投げっぱなしにするわけではなく、かなり込み入った婉曲表現を多用しながら相手の議論を引き継ぎ、さらに別の人にまわしてゆく。この「引き継いでまわす」というところが実は肝要で、ようするに「議論そのものを成立させる」意志をみなが共有しているのだ。「自分の意見を声高にいう」のではなく、あくまでも「議論」をぐるぐるまわすことで、ひとりひとりの意見の有益な断片が「場」の中心に投げ込まれてゆくというイメージ。2時間後にはそうした断片が蓄積され、今日もなかなか面白いものが集まりましたね、ではまた来週、というような。これはアメリカ人の友人とふだん話したり、いわゆる学会の質疑応答をみているだけではちょっとわからない新鮮な驚きだった。しかもこれって「ひとりひとりが思いつくことなんて結局のところたいしたことないよね」という、ある意味とても謙虚な人間観が前提とされているといえないだろうか。
いずれにしても、とにかくみんな話すのが速い。文学研究なんてやろうとするくらいだから、おそらくアメリカ人のなかでも最高レベルに内向的な人間が集まっているはずだが、そんな彼ら彼女たちでさえ、伏し目がちに早口で意見を述べて次の人にまわしている。これはもう慣れとしかいいようがない。
いったん帰宅して夕食をとったあと、Dラインで南下、ブルックリンのアトランティック・アベニューまで。Wiz Khalifa, U-God, etc@Southpaw*1
CMJ09ミュージック・マラソン&フィルム・フェスティバル*2が始まった。音楽関連では例年ロック系のバンドが数多く出演することで知られるが、一応ヒップホップのイベントはチェックする。今晩のラインアップはピッツバーグ出身の新鋭ウィズ・カリファとウータンのUゴッド。これ、正直どうだろうか。ようするにウィズ・カリファが前座でメインはあくまでもUゴッドである。だがそもそもCMJは今後ブレイクが期待される若手ミュージシャンのショウケースというコンセプトではなかったか。Uゴッドが「今後ブレイク」することはほとんどありえないと思うのだが。だからこれは微妙だ。どう微妙かを説明するのは難しいが、ヒップホップに興味がない人のためにあえてたとえるなら、森山直太朗が南こうせつの前座を務めるステージを想像してほしい。しかもイベントはサマソニである。いや、会場はもっとぜんぜん小さくてこの二人のたとえもいまいち的を外しているような気がする。でも、とりあえず察してほしい。要は、ほとんどの客は直太朗=ウィズをみにきているのだ。もちろんぼくもそうだ。サマソニでこうせつがトリだといわれても、どうしていいかわからないじゃないか。
会場につくと、無名の若者がステージでラップを披露していた。だいぶ時間が押しているらしい。しばらくステージを見たり、会場の外でタバコを吸ったりして時間をつぶす。23時を回ったころ、ステージ上でスタッフがDJにこそこそ耳打ちしているのがみえた。すると次の瞬間、DJは突然マイクを握ってこういったのだ。「みんな喜べ!なんとこれからあのUゴッドが先に登場だ!」
・・・。このときの会場の雰囲気をなんと表現すればよいだろう。だって客の8割はウィズ目当できているのだ。なのにUゴッドが先に出てくるということはウィズの出演時間がさらに遅れるということで、ほんとはみんな早く直太朗をみてとっとと帰りたいのだ。だが、こうせつがこの業界で伝説的な人物であることもみな良く知っている。こうせつに比べれば直太朗なんてまだまだひよっこである。くれぐれも失礼があってはならないのだ。いや誰にってもちろんこうせつにだ。でも、これだと実質的にこうせつが直太朗の前座を務めることになりはしないか。そのあたり大丈夫なのだろうか。楽屋で殴り合いの喧嘩がはじまったりしていないだろうか。だってヒップホップって縦社会だろう。とはいうものの、主催者のこの決断はやむを得ないと思う。なぜなら、このまま決行するとウィズのステージのあとにほとんどの客ははけてしまい、ものすごく寂しい状況でUゴッドがラップをすることになるからだ・・・おそらくその場にいた観客全員が一瞬のうちにこのような思考を展開した。そして、その一瞬のために、DJへの反応が若干遅れてしまったのだ。「イエーェェェェェィ・・」というかけ声がとても情けなく響いた。
よし、みんな、でもここは気持ちを切り替えてちゃんとUゴッドを盛り上げよう!と誰かがいった、ような気がした。だぶん、誰も口に出してはいっていない。でもそんな気分が少し会場にわき起こったのはたしかだ。なんといってもUゴッドはウータン・クランのメンバーである。もちろん、メソッド・マンやレイクウォンに比べれば知名度もスキルも劣る。なかには、え?そんなやつウータンにいたっけ?という人もいるかもしれない。ヒップホップなんてどうでもいいと思っている人のためにいまいちど説明すると、Uゴッドはドリフでいうなら仲本工事である。モー娘。でいうなら福田明日香である。スティーリー・ダンでいえばウォルター・ベッカーである。おわかりいただけるだろうか。スティーリー・ダンはそもそも二人しかいないじゃないか、とかそういう意地悪な突っ込みはやめてほしい。とはいえ、Uゴッドもあのウータンのメンバーであることはまちがいないのだ。ちゃんと敬意を払おうじゃないか。リスペクトの精神はこういうときこそ発揮すべきではないか。そんな連帯と共感の空気が漂いはじめていた。つなぎのDJが客を盛り上げ、スタッフは機材の確認に余念がない。ステージ上ではチノパンのおっさんがマイクをチェックしている・・・・・あれ?おっさんなんかラップはじめたぞ。かんべんしてくれよーもう素人のフリースタイルなんかみてる暇ないんだから・・・・・
そのときだ。「おいみんな!!盛り上がってるかあ!?オレがUゴッドだ!」えええええおまえがUゴッドかい!観客がまるでドリフのようにずっこけた。いやあ、わからなかった。だってグレーのフリースにベージュのチノパンだよ。それ、どこからどうみても一般人だろ。週末を家族と過ごす会計士かと思ったよ。「ウータンのなかでオレが一番無能(crocky)だっていうやつもいるけど、オレだってやるときはやるぜ!」ってそれも微妙だ。拍手もまばらである。明らかに観客は戸惑っている。そんなに正直に告白されてもなあ、である。やっぱり無能っていわれてたんだあ、である。どうしろっていうんだ。そういうんじゃないだろ、ヒップホップ。嘘でも「オレが最高だ!」っていってほしい。だって悲しすぎるじゃないか、こうせつ。あああでもラップ下手だなあ。滑舌悪いなあ。しかもものすごい汗かいてないか。お願いだから一曲終わるごとに手ぬぐいで汗を拭かないでほしい。おっさんだなあ。年取ったなあ。でもそれはヒップホップが年を取ったってことだ。なんか切ないなあ。ヒップホップってこんなに切なかったかなあ。
悲しみがとまらないステージがやっと終わり、深夜過ぎにようやくウィズ・カリファ登場。痩せたからだの全身にタトゥーを入れているが、こわもてというよりはトリックスター。ドカベンでいうなら殿馬だと思う。11月に新しいアルバムを出すらしい。
この曲↓が売れたみたいです。
2時すぎに帰宅。
10月21日(水)
終日大学図書館。キャンパス内に点在するいくつかの図書館を行ったり来たり。
午後、『すばる』と『新潮』と『文學界』を読む。
10月22日(木)
朝方まで原稿を書き、少しだけ寝てから午前中にさらに続き。昼過ぎにやっと送信。
午後、『すばる』を読む。夕方、ニューヨークに到着した西さんから電話があり、手違いでホテルの予約が取れていなかったとの報告を受ける。Aとタイムズ・スクエアまでお出迎え。今晩はうちに泊まることに。三人で9アベ沿いのタイ料理を食べにいく。
夜、Edward P. JonesのThe Known Worldを読む。
10月23日(金)
終日大学図書館。ひたすら文献目録の作成。
夜、『文藝』とEdward P. JonesのThe Known Worldを読む。
10月24日(土)
昼、『文藝』と『en-taxi』とEdward P. JonesのThe Known Worldを読む。原稿を書く。
20時ごろ、タイムズ・スクエアで西さんと待ち合わせ。近くのJohn's Pizzeria*3で三人で夕食。22時過ぎ、タクシーを飛ばしてグラマシー・シアターへ。Duck Down CMJ Showcase@Gramercy Theater
こういうイベントはどうせ時間が押すだろうと思って遅めに行ったら、すでにトリのブート・キャンプ・クリックがステージに登場していた。ヘルター・スケルター、バックショット、スミフ・ン・ウェッスンなどメンバー勢揃い。ここ数年はリトル・ブラザーをやめた9thワンダーが合流し、プロデューサーを務めている。
CMJはこれでおしまい。若手といえばほんとはPac Divもみたかったんだけど、時間が取れずにあきらめた。しかし、ニューヨークにいるとヒップホップは90年代で止まっているような気になる。ちなみにPac Divはこれ↓
10月25日(日)
13時半、地下鉄の1ラインで北上し、191丁目まで。このあたりはハーレムのさらに北でワシントン・ハイツの北端。こんなところで降りるのは初めて。Aと二人で大人の階段をのぼる教室へと向かう。みっちり三時間、ビデオみたりレクチャー受けたり。18時半ごろ帰宅。