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11月9日(月)
16時、ホテルで真理さんと9月からNYUの客員研究員としてこちらに滞在中の中地さんと待ち合わせ。ダコタ・ハウスをご案内したあと、しばらくセントラル・パークを散歩する。紅葉が美しい。誰もがいうことだけど、いつも殺気立っているマンハッタンにあって、このセントラル・パークだけは別の時間が流れているような気がする。しばらく歩いたあと、65丁目のカフェでお茶。
18時半、西78丁目の寿司屋Sushi of Gari*1。Aも合流して四人で夕食。真理さんはアメリカの「ヘンな巻き寿司」に凝っていて(巻き寿司を天ぷらで揚げて、しかもクランベリー・ソースをかけるのがあるらしい。それはぜひ食べてみたい)、今回も「創作寿司」という看板に惹かれて予約した。たしかに「創作寿司」であることに間違いはないのだが(トロに大根おろしがのっていたり)、普通においしかった。いや、普通どころではなく異常にうまかった(そこそこ値段も張るが、ネタは日本から空輸しているようなので仕方がないだろう)。中地さんとは初対面とは思えない話をいろいろしてしまったのだが大丈夫だろうか。
11月10日(火)
一日中原稿執筆。
11月11日(水)
なんとか原稿を仕上げて送る。
11月12日(木)
今朝早く、母方の祖母が亡くなったと連絡を受ける。享年95。今は事情があって日本に帰れない。何もする気が起きずに家にいる。
午後、ずっと後回しにしていたいくつかの事務作業をこなす。あちこちに電話をかけ、郵便局で荷物を受け取り、届いたままの状態でほったらかしていた家具を組み立てる。
祖母とは、二度ほど一緒に暮らしたことがある。最初は小学校6年のとき。家族より先に帰国した際に半年ほど祖父母の家から学校に通ったのだ。しばらく日本を離れていたせいでぼくの日本語はおかしくなり、同学年の友人との会話も難しくなっていた。祖母は特に驚くこともなく、「あんたはたまにヘンなことをいいよるなあ」とケラケラ笑いながら、祖父が隠れてタバコを吸っていることを毎日のように愚痴っていた。
二度目は博士課程に進むために実家に戻ったとき。数年間にわたり、母と祖母と三人の生活が続いた。それは、ちょうど祖母の認知症が進行したときだった。母は祖母の介護に追われ、ぼくは博士課程に進学したものの先が見えず、そして祖母は自分が少しずつ惚けつつあることに混乱し、戸惑い、あきらめているようだった。その後、母が体調を崩し、いろいろあって祖母は名古屋の叔父が引き取ることになった。あのころ、ぼくは祖母に優しく接することができただろうか。
文芸誌が届く。今月はいつもより多めで13編。
11月13日(金)
ゲラ返し。
18時ごろ、大学図書館を出て1ラインでハウストン・ストリートまで下る。ブリーカー通りのライブハウスへ。この界隈はボブ・ディランがニューヨーク・デビューを飾ったカフェ・ワ*2やビターエンド*3などフォーク、ロック・シーンの有名なハコが集まっているところ。そのまま東に歩くと突き当たりにかつてのCBGBがある。
会場でチケットを買って確認したところ、メイン・アクトの出演はだいぶ遅くなるとのこと。仕方がないのでいちど家に戻る。20時すぎに今度はAラインで西4丁目まで下り、ふたたび会場へ。Alela Diane, Marissa Nadler, Orba Squara@Le Poisson Rouge*4
アリーラ・ダイアン*5はデヴェンドラ・バンハート*6なんかとくくられることもあるサイケ・フォーク、オルタナ・フォーク界隈の人。最近ラフ・トレードと契約したらしい。
曲を聴いてもらうとわかる通り、少し声質がさかなのポコペンさんに似ている(ポコペンさんの方が空気をえぐる感じが強いと思うけど)。このあたりの人をグリール・マーカスのOld Weird AmericaをもじってNew Weird Americaといったりすることもある。ニューヨークにはフォーク・ミュージックの確固とした伝統があるが、その直接的な政治性よりも音楽そのもののグロテスク──アメリカの自然にうごめく狂気をいかに感知するか──にフォーカスをあてた彼らの活動は、たとえば「フォーク(民謡)の読み直し」をもくろむオルタナ・カントリーの連中とも通じている。
- アーティスト: Alela Diane
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22時過ぎに会場をあとにし、ホール・フーズ*7で買い物をして帰宅。
11月14日(土)
一日中雨。「雨が降った日は学校に行かない」という16のときから忠実に守っている自分内ルールにしたがって、きょうは家にいることにする。
午後、日本で焼かれている祖母のことを思う。
夜、『文學界』を読む。
11月15日(日)
午前中に洗濯をし、午後いつものように地下鉄に乗って191丁目へ。第三回。うーん。18時ごろ、帰りは大学前で下車し、図書館に数時間こもる。
夜、『文學界』を読む。