研究社のサイト内にある『Web英語青年』*1に舌津智之『抒情するアメリカ──モダニズム文学の明滅』の書評を書きました。前著『どうにもとまらない歌謡曲』は少しでも音楽に興味がある人にとっては必読書ですが、今回も素晴らしかったです。

抒情するアメリカ モダニズム文学の明滅

抒情するアメリカ モダニズム文学の明滅

どうにもとまらない歌謡曲?七〇年代のジェンダー

どうにもとまらない歌謡曲?七〇年代のジェンダー

そうこうしているうちに、あっという間に2月が終わった。何をしていたかというと、

  • ギャラクティックのライブを観に行った。
  • 作家のタオ・リンさんに会った。

という以外は、あいかわらず赤ん坊に振り回される毎日。なんかあれだな。子育てってサーフィンに似ている。サーフィンってスポーツの中でもとりわけ報われない競技だよな、と常々思っていた。だってあれでしょ、どんなにうまくなっても実際に「波に乗っている」時間って1分とか2分だよね。それ以外はただひたすらパドリングしているわけだ。どんなトップ選手でもほとんどの時間は海の上でバタバタこいでいるだけなんだよ。それで、やっと波が来た!と思ってボードの上に立ってテイクオフ。その瞬間はたしかに言葉では表現できないほどスリリングな気持ちになるだろう。でもそれは結局1分も続かない(1分波に乗り続けたらかなりすごいのではないか)。またパドリングに逆戻りだ。僕は海の近くで育ったので、10代のころはよく海岸からサーファーの人たちをぼんやり眺めていた。だから確信を持って言うが、ほとんどの人はサーフィンなんてしていない。というか、よーし今日はサーフィンするぞ、と言ってる人のほとんどはパドリングしかしてないのだ。にもかかわらず、これほど多くの人がサーフィンに魅せられるというのは、あの「テイクオフ」の瞬間がほとんど想像を絶するほど気持ちいいのではないか、そうでないとそもそもなぜ人がサーフィンをしようとするのか理解できないよ、とずっと思ってた。

子育てもそんな感じだ。うちの赤ん坊もちょっと前から笑うようになったのだが、この笑顔はたしかにかわいい。すべての苦労を吹き飛ばすほどのかわいさだ。でも冷静になって考えてみると、笑っている時間なんてせいぜい1分か2分くらいで、ほとんどの時間はやれおむつだ授乳だ眠れないだで騒いでいる。なんかこれいろいろだまされていないか。あれ、今日もずっとパドリングしてただけ?みたいなことになってないか。あとあれだな、人は遺伝と環境が半々というけれど、さすがに生後二ヶ月の赤ん坊の子憎たらしい性格を環境のせいにするわけにはいかんよな。だとすると親(オレかAか)のせいだ。こればっかりはしょうがないな。

ただ2ヶ月を過ぎたあたりから、少しずつ、本当に少しずつ赤ん坊が何を考えているのかわかるようになってきた。いや、何を考えているのかなんて別に何も考えていないと思うけど、ちょっとずつ表情に変化が出てきたことで同じように泣いていても微妙な違いが読みとれるようになってきた。これは精神的にだいぶ楽。「パドリング」といってもただバタバタさせているだけではないんだな。あ、そうそうちなみにいっとくけど僕はサーフィンなんて1ミリもやったことないよ。