燐光群『CVR チャーリー・ビクター・ロミオ』@下北沢ザ・スズナリ

演出:坂手洋二+ロバート・バーガー+パトリック・ダニエルス+アービン・グレゴリー。音響デザイン:ジェイミー・メレネス。

航空事故の際、原因究明のために回収されるコックピット・ヴォイス・レコーダー(CVR)。今回の燐光群 の公演は、アメリカと日本で起きた6件の航空事故におけるCVRの記録を「台本」にした一種のドキュメンタリー演劇となっている。ニューヨークのアーティスト集団、コレクティヴ・アンコンシャス によって1999年に初演されたものを2001年に坂手氏が鑑賞し、共同製作を持ちかけたという。

上演前、場内にはブライアン・イーノの『ミュージック・フォー・エアポート』が静かに流れている。やがて照明が落ち、パイロットの制服を着た役者が舞台上で「事故」を再現し始める。1995年、コネチカット州イーストグランビーに不時着したアメリカン航空の事故に始まり、1985年の日航機事故や、アメリカ人なら誰でも知っているという1989年のユナイテッド航空の事故などが次々に「上演」されていく。コックピット内での騒然とした状況。管制塔との緊迫したやりとり。極限にまで高まる緊張感は、しかし事故そのものを象徴する「空白」によって唐突に断ち切られ、息をつくまもなく次の「事故」へと舞台は展開する。

あまり指摘されることがないが、燐光群の舞台について特筆すべき点の一つに音響面での充実があげられる。かつて松原幸子 (Sachiko M.)が燐光群の音響を担当していたことはよく知られているが、彼女を通じて大友良英とも共演を果たしており、坂手氏が常に舞台の音響に気を配っているのは明らかだ。今回も、飛行機事故を再現する生々しいサウンドとノイズが会場全体を揺らし、切迫感を醸し出していた。

以前に燐光群が『白鯨』を舞台化したとき、坂手洋二氏にインタビューする機会に恵まれた(「燐光の群れとしての『白鯨』─坂手洋二インタビュー」『ユリイカ青土社、2002年4月号、136-42頁)。そのとき彼が『CVR』について話していたのを思い出す。その時点ではまだ舞台化されていなかったので、あまり踏み込んだ質問をすることができなかったのだが、今となっては二つの「作品」の共通点は明らかだ。両者とも、制御不能な物体を前にした人間の無力を描いていて、いずれの場合も人間が最後まであがき続けることによって、最終場面での無慈悲さが際立っている。広い意味で人間とテクノロジーの共存と対立を扱っている点も二つの作品に通底する問題点だと言えるだろう。さらに言えば、『CVR』の「台本」は定義上、事故そのものを表象することができないが、それは燐光群が『白鯨』を舞台化したときにあえて鯨を実体化せず、役者の視線の延長線上に仮想した演出と重なる。制御不能な巨大な何かを表象不可能なものとして舞台上に「非在」させること。『CVR』のパンフレットには、劇中に使用される様々な航空専門用語の注釈とともに飛行機の図面が掲載され、それぞれの装置の名称が記されている。それはまさに小説『白鯨』において、巻末に捕鯨船の詳細な図面と用語集が添付されているのを髣髴とさせる。

坂手氏は次のように言う。「『CVR』はまさに、現代の『Moby-Dick(白鯨)』である。」

いや、これマジでこわいっす。正直、しばらく飛行機には乗りたくないなあ・・・。