絲山秋子『イッツ・オンリー・トーク』文藝春秋、2004年。

昨年、第96回文学界新人賞を受賞した絲山秋子 氏。表題作を含む二篇の中短編を収録。受賞作を2003年6月号の『文学界』で読んでおもろいなあと思ってたら、あれよあれよという間に芥川賞候補になり、先月「袋小路の男」で川端康成文学賞を受賞したようだ。祝!

「イッツ・オンリー・トーク」は「「粋」がない下町」を求めて「直感」で蒲田に住むことを決めた語り手の日常。大学を卒業して新聞社に就職した彼女は、海外勤務を経て帰国後に精神病を発病。退職して絵を描き始め、賞を受賞するも現在はパッとせず・・・という設定。たしか浅田彰が「大田区文学の誕生!」と評していたような気がするが、これは学生時代にバブル期を謳歌した世代のその後を描いた「ポスト・バブル小説」と言えるかも。

自殺未遂を繰り返す従兄を九州から呼び出して世話をしたり、大学の同級生が区議に立候補するとその従兄をボランティアとして送り込んだりと、他人との交流がないわけではない。しかも、ネットで知り合った人物と痴漢プレイを楽しみ、精神病仲間のヤクザとも親交を深める。学生時代の友人の死が日常に影を落としていることが、時々思い出されたように描写される。

そこそこエリートとして育ったであろう語り手が発病をきっかけに脱落し、社会のマージンに位置する人々と距離を置きつつ淡々と日常を過ごす風景は、今となっては「まともな世界」の人間にとってむしろ憧れの対象として映るのではないか。その証拠に、彼女は以前のまっとうな生活への未練をまるで口にしない。かといって現在の生活に満足し、そうした「正常な世界」に生きる人々を敵視するわけでもない。乾いた人間関係のなかの乾いた性描写。もちろん、そうした乾いた言葉の影にどうしようもない寂しさを読みとることは容易いが、そうした感傷を読者があえて禁欲することで、この作品は現代的でリアルな小説たりえるような気がする。そしてこれは、80年代後半に学生時代を過ごし、90年代前半に社会に出たであろう主人公が、実は社会の変化そのものとシンクロしていたことを表している。

なによりそれぞれの登場人物が魅力的で読ませる。現代風俗小説としてのディテールも秀逸。従来の小説的基準からみると登場人物の年齢設定が不自然に見えるかもしれないが、それが妙に説得力を持つあたりにこの小説の怖さがあるように思う。区議に立候補する本間という男は、いかにも優等生タイプの人間として描かれているが、語り手の誘いを拒む際にEDに悩む童貞であることを告白する。35歳で、である。また九州から出てきて選挙活動に奔走する従兄も、44歳であることが最後に明かされる。それにしてもなぁ。あまりにリアルで呆然とする。そして、会社時代の貯金を食いつぶしながらヤサグレた生活を送る語り手は、ランチャ・イプシロンを乗り回す。これはバブル時代の名残というよりは、むしろ参照枠は70年代のスーパーカー・ブームなのか(笑)。絶妙。