スフィアン・スティーヴンス(1)

2.12のPerfumeのライブ@SHIBUYA-AXのチケットがどうしてもとれない。だからというわけではないが、先日Sさんとスフィアン・スティーヴンスの初来日公演@渋谷クアトロを観にいった。全米50州シリーズとして始まった『ミシガン』(Michigan 2003)や『イリノイ』(Illinois 2005)は聴いているし、どちらも重要なアルバムだと思うが(この二枚は音楽ファンだけでなく、アメリカ文化研究者必聴)周知の通りわたしは今、完全にヒップホップな気分なので、果たして彼のような箱庭系シンガーソングライターのライブを楽しめるのだろうかと一抹の不安がよぎる。というより、どちらかというと「せこせこ音楽やってるんじゃねーYO!この軟弱宅録野郎!」とディス・モード全開で会場に乗り込んだ。もちろん胸にはゴールドのネームネックレスをぶらさげて。

Greetings From Michigan the Great Lake State

Greetings From Michigan the Great Lake State

Illinoise

Illinoise

・・・このうえなくすばらしかったです。ビバ宅録。リスペクト箱庭。リズム隊に加えてステージ上手にはコーラスの女性3人、下手に若い男の子5人によるホーン・セクション*1。それぞれのメンバーバンジョーやアコギ、笛や鈴など手当たりしだいに楽器を持ちかえていた。おもちゃ箱をひっくり返したようなアレンジと、どこまでも内省的な歌声のバランスが絶妙。突然ステージに男の子があらわれて、蛍光色のフラフープをまわしたかと思うと、後半、メンバー全員が蝶のように色とりどりの羽を背中につけて演奏を始める。おとぎ話の世界に迷い込んだかのようなファンタスティックなステージ。

今月号の『ミュージック・マガジン』で渡辺亨氏がスフィアン・スティーヴンスをヴァン・ダイク・パークスやハーパーズ・ビザールにたとえていた。たしかにバーバンク・サウンドの影響は色濃いが、曲の間奏部は(チープな楽器で演奏される)マイケル・ナイマンスティーヴ・ライヒ、あるいは『ユリイカ』のジム・オルークを彷彿とさせるところもあり、とにかく音楽的アイディアにあふれているという印象。

ところでこの『ミュージック・マガジン』、「今、もっとも面白いロック」という特集の渡辺氏と松山晋也氏の対談が興味深い。渡辺氏はニルヴァーナに代表される90年代のグランジが「現実」を表す音楽だとすると、今はスフィアン・スティーヴンスやルーファス・ウェインライトなどの「空想・妄想系」が面白い、と指摘する。

この現実/空想の対比、実は英米文学研究に携わるものにとってはなじみ深い問題だ。それは一般的にイギリスの「ノヴェル」とアメリカの「ロマンス」の対立として捉えられている。17、8世紀にイギリスで誕生した「ノヴェル」という新しいジャンルが実生活に根ざした写実主義を特徴とするのに対し、アメリカ文学の伝統はむしろ空想/ファンタジーの要素を重視する。なぜリアリズムを基調とする「小説」がアメリカに輸入されると、それは「ロマンス=ファンタジー」になってしまうのか。あるいはこう問うても良い。18、19世紀初頭にかけてイギリスで流行した「ゴシック・ロマンス」という傍流ジャンルが、なぜアメリカ文学の主流になりえたのか。古くはリチャード・チェイスから最近ではG. R. トンプソン/エリック・カール・リンクにいたる数多の英米文学者がこの問題に取り組んできた。つまりはこういうことだ。なぜアメリカの小説には幽霊の話ばかりでてくるのか?

(この頁、スフィアン・スティーヴンス(2)に続きます。たぶん。)
追記:続きました。http://d.hatena.ne.jp/adawho/20080130

*1:地元の高校のブラバンから連れてきたのかと思った。高校生くらいに見えたけどなあ。あとで聞いたところによると、そのうち何人かは翌日のルーファス・ウェインライトのバンドのメンバーだったらしい。それどころか、僕らが立っていた場所の近くでルーファス本人がライブを見ていたとのこと。全然気づかなかったよ!