ビリー・バッド

午後、ラジオNIKKEIで二本収録してから吉祥寺へ。成蹊大学大学院でメルヴィルの『ビリー・バッド』について一時間ほど話す。バーバラ・ジョンソン以降の批評の流れをまとめて(Law and Literature一派の諸論文から新歴史主義まで)、ドゥルーズアガンベンの「バートルビー」論に触れつつ今後の『ビリー・バッド』研究の見通しを提示。このメルヴィルの遺作については、最終的にエディティングの問題が残されているのでいかなる解釈にも(物理的な意味で)留保をつけざるを得ないのだが、にもかかわらず─だからこそ、というべきか─この作品は米文学研究史上もっとも苛烈な解釈論争を巻き起こしてきた。今回あらためて批評史を整理してみて、ジョンソンの脱構築批評とイヴ・セジウィックのクイア批評、それにブルース・フランクリンの歴史主義批評がやはり群を抜いて面白い、と思った。

教室でひとしきり議論したあと、吉祥寺にくりだして飲み会。下河辺先生の講義に出席していたUCバークレーの大学院生(日本文学専攻)が近々アメリカに帰国するというのでその送別会もかねて。成蹊にはこれまで研究会も含めて何度かお邪魔しているので、院生にも知りあいが多くついつい酒が進んでしまう。ほろ酔いで帰宅。