日本英文学会など

例年に比べてコマ数が多いからか、それとも時間割の組み方を間違えたのか、あるいは単に歳をとったのか(←たぶんこれ)、今年は疲れを翌週まで引きずることが多く、どうにもしんどい日々が続いています。連休中に引いた風邪もなかなか治りきらないし。5月から6月にかけて学会と校務で週末がほぼつぶれていることに気付かないふりをしてやりすごせないものか。果たして7月まで無事に乗り切れるのか。

それでも浜田真理子@渋谷クアトロを観にいったり(素晴らしかった)、YさんとHさんに初めてお会いしたり(楽しかった)、弟の結婚式に出席したり(面白かった)とそれなりにアクティブ(あくまでも自分基準。というよりルーティーン外の行動はほぼこれだけ)に動いていたわけですが、なんといっても緊張したのが昨日の日本英文学会シンポジウム@慶應義塾大学。司会に早稲田の都甲幸治さん、あとは内田樹さんと柴田元幸さんにオレ、とどこからどうみても一人だけ小者オーラを発しまくりの布陣。テーマは「アメリカ文化と反復強迫アメリカ文学のなかに書き込まれた(原)風景」というもので、通常のシンポジウムよりはフリートークを長めに、という当初の意図を尊重して冒頭の発表を短めにこなす(それでもオーバーしてしまいましたすみません)。中盤に内田・柴田両巨頭のスイッチが入ってからはすごくて、とりわけ「ユダヤアメリカ人」の話あたりから二人のトークが完全にシンクロしはじめ、それを豪快に操る都甲さんの司会っぷりも見事で、わたしはただひたすら「すごいなあ」とほとんどリスナー状態になっていました。特に昨日は柴田さんの「アメリカ文学における<父と子と叔父>」の(ほとんど即興的な)話が面白く、勝手に江藤淳の『成熟と喪失』を思い出しながら「なるほどー」と聞きいってしまいました。

シンポジウムのあとはみなさんでビールをあおり、ホロ酔い気分で帰宅。いつのまにか朝になっていましたよ。ところでSさんの企画、実現したらすぐに読みたいなあ。楽しみです。