12

11月30日(月)
午後、病院。

夕方、原稿を送る。


12月1日(火)
昼過ぎに大学へ。14時、フィロソフィー・ホールでセミナー。Junot DiazのThe Brief Wondrous Life of Oscar Waoを読む。2007年度全米批評家協会賞およびピュリッツァー賞受賞。

The Brief Wondrous Life of Oscar Wao

The Brief Wondrous Life of Oscar Wao

トニ・モリソン・ミーツ・『電車男』。いや、別にトニ・モリソンに似ているわけではないが、要するにマイノリティ・ファミリー・サーガ+オタク文化。文体は日本でいうなら舞城王太郎佐藤友哉に近いかも。

先日の『ユリイカタランティーノ特集号にも書いたが、この黒人+オタク文化(中国、香港のカンフー映画や日本のアニメなど)という組み合わせは、たとえば音楽でいえば90年代にすでにウータン・クランが体現している。だからミチコ・カクタニがニューヨーク・タイムズでこの作品を絶賛したとき*1に、バルガス・リョサスター・トレックカニエ・ウエストといったのは正しい。最後のカニエはおそらくヒップホップという意味で付け加えたのだろうが、カニエ・ウェストのPVがあからさまに『アキラ』をパクっていたことを思えば、その正しさはさらに裏付けられる。それにしても、『アキラ』の影響力はすごい。この作品のなかでも主人公が1988年に公開されて以来「1000回以上観た」という記述があるのだが、こちらのアニメ好きの連中に話を聞いても未だに重要な参照点になっているようだ。

しかも、『ユリイカ』で紹介した「チーズの美学」──それはソンタグが論じる「キャンプの美学」と比較するとわかりやすいのだが──はこの作品にも当てはまる。セミナーのディスカッションで、実際のところこの新種の感性がどの程度広まっているのか院生のみなさんに投げかけてみたところ、「あーはいはい。チーズ、チージー(cheesy)ね。たしかにこの作品はそうだよねえ」とにやにやしながら頷いていたので、それなりに浸透しているんだと思う。

ちなみにこの作品も翻訳が進んでいるはず。ところどころスパングリッシュになっていて英語とスペイン語が入り交じっているし、とにかく文体がものすごく口語的なので翻訳は本当に大変だと思います。ただし、アメリカ文学の「新しさ」がもっともわかりやすいかたちで提示されている作品のひとつではないかと。


12月2日(水)
終日大学図書館


12月3日(木)
11時、50丁目の駅まで歩き、地下鉄とエアトランズを乗り継いでJFKへ。ターミナル4に着陸予定のノースウェスト航空が直前になってターミナル3に変更になり、慌てる。なんとか義母と落ち合うことに成功。タクシーでマンハッタンの自宅まで戻る。

19時半、渡辺と4人で近くのタイ料理屋*2で食事。


12月4日(金)
11時、大学へ。116丁目の本キャンパスと124丁目の国際センターを何度も往復してさまざまな手続き。さらに郵便局でもろもろの書類を発送。途中、Aから「痛いの来た!」というメール。これまでも何回かそういうことがあったので適当にやり過ごす。アジア系のスーパーで買い物をして、18時ごろ帰宅。

19時、Aの陣痛がはじまる。20分から30分間隔。今回はほんものらしい。

22時、陣痛が5分間隔に。23時、一時間経過。この時点でかかりつけの産婦人科医に連絡するようにいわれていたので電話する。すぐに病院に行けとのこと。荷物をまとめて徒歩三分のルーズヴェルト病院へ。


12月5日(土)
24時ごろ、産婦人科トリアージで診断。まだまだかかるとのこと。家が徒歩圏内にあると伝えるといったん帰宅してから出直してこいといわれる。

2時ごろ、3-4分間隔。

Aはこの日のために周到に準備していた。『テレプシコーラ』と『ガラスの仮面』と『乙嫁語り』の新刊を日本から取り寄せ(彼女が今、何よりも夢中になれるもの)、陣痛から気をそらすためにわざわざ読まずにとっておいたのだ(→まったく効果無し。漫画なんかに集中できるわけない!とまっさきにあきらめていた)。他にも、さまざまなポーズをとったり(→彼女の場合、横になっているときが一番辛そうだった)、バランスボールで跳ねてみたり(→これはいい!といっていたものの途中から効かなくなった)、風呂に延々とつかったり(→これもだいぶいいらしいが、のぼせてふらふらしてしまうので要注意)、関係ない会話をしたり(→これは意外と効いた。陣痛が始まりそうなときに、「帰国したらどこに住もうか?」とか「のりピーってどうなるかな?」とか「鳩山政権ってもうもたない?」とか「Perfumeの真の魅力ってなんだと思う?」とか「ドミニカ共和国ってどこ?」などの質問を投げかける。すると彼女が「公園の近くがいい」とか「あれは押尾から気をそらすための陰謀」とか「幸夫人ってムー民だよね」とか「生の声が届かないところ」とか「ドミニカ共和国って何?」など、その答えを考えている一瞬だけ気がまぎれるらしい)、さまざまな策を講じていた。

ぼくは、この三分ごとに起きる彼女の激痛にあわせてただひたすら腰をさするのみ。これまでも出産を経験した友人から「男は腰をさするだけ」という話を聞いていて、「なんて役立たずな気休め行為だ!」と思っていた。たしかに「役立たず」であることに相違ないが、この「腰をさする」行為を「気休め」だと思ったら大間違いだ。別の友人に「命がけで腰をさすれ!」といわれて「まったく意味がわからん」とおもっていたのだが、これ本当に命がけで腰をさすらないとマジでキレられます。一度、この3分間を利用してダッシュで外にタバコを吸いに出たところ、案の定陣痛を一回のがしてしまい、これまで見たことがないような鬼の形相でAに睨まれた(人の髪の毛って本当に逆立つんだ、と思った)。

あとは、ラマーズ法。例の「ヒー、ヒー、フー」というやつだ。実は毎週日曜日に通っていた191丁目の教室はいわゆる「両親学級」で、ここでラマーズ法についても教わった。陣痛の始まりにあわせて深呼吸をして、パートナーが妊婦の目の前で「3、2、1、2、3、2・・」と指を折る。妊婦はその指に集中しながら「ヒー・ヒー・ヒー・フー、ヒー・ヒー・フー、ヒー・フー」と呼吸するというもの(人によって微妙にやり方は違うみたいです)。

両親学級を受けている段階での僕の感想は、「あほくさ!」というものだ。大のオトナが「ヒー・ヒー・フー」じゃないだろ、と。人をバカにするのもたいがいにしろ、と。しかし、陣痛の最終段階で本当に「気休め」になったのは(他の方法はすべて「気休め」にすらならなかった)このラマーズ法だけである。

5時ごろ、2-3分間隔。荷物をまとめてふたたび病院へ。トリアージで診断後、個室へ。しかしこれ予想以上にハードだ。すでに24時間近く寝ていない状態で、定期的な陣痛が始まってから10時間以上経過している。その間、3分から5分間隔で彼女は激痛に襲われているのだ。病院に入るとなかなか自由な姿勢でいるわけにもいかず、意識も朦朧としている。本人と医者と相談して、1時間半だけ硬膜外麻酔を打つ。

9時ごろ、頻繁に産婦人科医がチェックしにくる。あと少し。麻酔が切れてきて、また痛みを感じているようだ。

12時過ぎ、産婦人科医(ちなみにこの女医はふだんの検診時の女医とは別人だが、のちに病室に私服で現れたときライダーズ・ジャケットを羽織っていてまるでテルマ&ルイーズみたいだった)の「オーケー!レッツ・ドゥーイット!」というかけ声とともに、ナースが各ポジションにスタンバイ。「ユー・アー・ドゥーイング・グレイト!」「ファビュラス!」「プッシュ!」「プッシュ!」「オーサム!(awesomeですね、これは)」「エクセレント!」など、アメリカンなかけ声が飛び交うなか、

12時23分、無事出産。3400グラムの女の子です。

俺、日本だったら確実に廊下でうろうろしていたと思うんですけど、あまりこっちではそういう選択肢もないようで、いつのまにかハサミらしきものを握らされて臍の緒を切っていた。

出産後の出血がかなり多く少し心配したものの、なんとか持ち直して病室に移動。

22時、僕と義母はいったん帰宅。


12月6日(日)
8時、病院へ。休む間もなく育児が始まる。