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12月7日(月)
午前中、産科医と小児科医が病室に来て診察。

出産時の出血が多かったため、ある検査の結果を待ちその数字が20以上だったら退院、以下だったらもう一泊するようにといわれる。実は昨日、Aは貧血で一度意識を失っており、本当はもう少し病院にいた方がいいのではないかと思っていた。結果は22。ギリギリじゃないかと思ったが、あっという間に退院の手続きに入らされる。しかも最後までこれが何の数字なのかわからなかった(とにかく病院で使われるラテン語ちっくな医学用語をいちいち辞書で引くのはとっくの昔にあきらめた。面倒くさすぎる)。12時、Aはふらふらしたまま病院をチェックアウト。

自宅に戻る。だが、考えてみたら赤ん坊の取り扱いについて僕らはなにひとつ知らないではないか!授乳の方法やおしめの替え方、それに沐浴の仕方について、たしかに両親学級でもやったような気がするし、出産翌日に病院で5分くらい説明を受けた気がする。でも産まれる前はなかなか赤ん坊のことを現実的に想像することができず、二人ともほとんど何も聞いていなかったのだ(Aにいたっては「妊婦は眠いのよ」といって、両親学級の間ほぼずっと寝ていた。受講していたのは僕ら一組だけなのに)。

なんとか義母の助けを借りつつ試行錯誤するものの、授乳がうまくいかない→赤ん坊ガン泣き→僕ら動揺する、の悪循環でいきなり初日から疲弊する。


12月8日(火)
Aと義母を家に残すことに不安を憶えつつ、13時半ごろ家を出て大学へ。セミナー最終回。最後は受講者が投票で選んだCormac McCarthyのThe Road。2006年ピュリッツァー賞受賞、全米批評家協会賞候補作。

The Road (Vintage International)

The Road (Vintage International)

ちょうど映画が公開されたこともあり、小説との違いなど軽めの話題からディスカッションが始まる。マッカーシーはフォークナーの影響を公言するが、この作品に見られる神との対話カニバリズムの是非などの主題はむしろメルヴィルを思わせる。だとすると、本作は文学史的には『白鯨』(メルヴィル)から『路上』(ケルアック)の流れに位置づけることができ、議論は必然的にアメリカの帝国主義や例外主義と「ロード」とのかかわりへと進む。

1933年生まれのコーマック・マッカーシーは年齢でいうとピンチョン(37年生まれ)よりも上だが、1992年のAll the Pretty Horses(『すべての美しい馬』)で多くの読者を獲得するまで長期にわたって極貧生活を送っていたという。また極端に露出を嫌い、それまでインタビューらしきものはほとんど受けてこなかったが(ほとんど唯一といってもいいのがニューヨーク・タイムズのこれ*1)、2007年によりによってオプラ・ウィンフリー・ショウに出演し、結果的にそれが『ザ・ロード』の爆発的なヒットに繋がったといわれている。

演習のあと、レイチェル・アダムズ教授にお礼とご挨拶。レイチェルとはこれまでも個人的に何度か話してきた。彼女の新刊がちょうど出たばかりで、その問題設定が僕がいまかかえている音楽関係のプロジェクトとも少しかぶるのだ。たぶん年齢も近いはずだし、彼女には3歳と1歳の子供がいる。そんなこともあって、4月にこちらにきてから公私にわたって相談にのってもらってきた。「あなた、こんなところにいないで早く家に帰りなさい!」と最後に叱られる。

Continental Divides: Remapping the Cultures of North America

Continental Divides: Remapping the Cultures of North America

17時過ぎ帰宅。授乳が思うようにいかず、赤ん坊はひたすら断末魔のように泣き叫んでいる(それにしてもこれすごいな。ほんとにみんなこれをくぐり抜けてきたのか。世界中の親を無条件に尊敬したい気分だ)さすがのAもかなりブルーに。このままではどうにもならないと思い、ナンシーさんに連絡する。明日にでもすぐ来なさいとのこと。


12月9日(水)
12時、家を出る。生後4日の赤ん坊を外に連れ出していいものなのか若干の不安にかられつつ、タクシーを拾って191丁目へ(ちなみに自宅は57丁目)。両親学級でお世話になったナンシーさんの自宅まで。韓国で生まれ、日本で育ち、アメリカで30年以上助産婦として活動されてきた方である。83歳の現在もニューヨークの日本人向け新聞で連載をもつなど精力的に活動している。「出産は病気じゃないんだからそもそも医者が出る幕じゃない!」といいつつも、居間の本棚には最新の医学書が並んでおり、ところどころ付箋が覗いている。

ナンシーさんは自然分娩、母乳育児の大切さを力説するが、いわゆるスピリチュアルなところがほとんどなく、おばあちゃん特有のユーモアにもあふれていて押し付けがましくない。「油断するとすぐ帝王切開したがる医者もいるからね、あなたたちも分娩室の機器の数字くらい最低限読めるようにしておきなさい。」「アジア系の赤ちゃんは黄疸が出やすいのですぐ入院を勧める医者もいるけど、ビリルビンの値が〜以下ならちゃんと断るのよ」など、実際にどこまで役に立つかわからないアドバイス(だって現場の医者にこうした方がいいっていわれてなかなか反論できないだろう)も含めて、僕はナンシーさんの基本的な姿勢にすごく共感していた(でも授業はあまり聞いてませんでした、すみません)。今回も授乳の仕方から赤ん坊の寝かし方まで懇切丁寧に教えていただき、本当に助かった。こういうときに頼りになるのはプロのおばあちゃんだなあと心の底から思った。

16時過ぎにナンシーさんのお宅を出て、タクシーで今度は84丁目へ。小児科初検診。血液検査など一通り受けてから帰宅。

深夜、小児科から連絡があり、黄疸値が通常よりかなり高いので、また明日血液検査をするようにいわれる。


12月10日(木)
10時、ふたたび小児科へ。血液検査。だんだん二人とも無口になる。帰りのタクシーでふと横を見ると、あまりの疲れからかAの顔がまるで亡霊のように透き通って見えた。

それにしても、と思う。どうも日米ともに最近は出産に関して「自然」志向が強まっているようで、それがいろんな意味で女性にプレッシャーになっているような気がする。もちろんそのことについて僕がとやかくいう資格はないが、たとえば「なるべく麻酔はしないほうがいい」(胎児に影響を及ぼすから)とか、「なるべく母乳で育てた方がいい」(粉ミルクよりも母乳の方がいいから)という言説が広まることで、普段は「スピリチュアル」なんて鼻で笑い飛ばすような女性ですら、なんとなく抑圧を感じてしまうのではないか。

ひとたび「自然な出産がいい」──というのは、ようするに「動物としてそれが自然である」ということらしいが、そもそも「人間は動物としては壊れている」というのが精神分析の知見ではなかったか──という〈理想〉が掲げられると、あとは必然的に減点方式にならざるをえなくて、「ちょっとだけ麻酔を打ってしまった」とか「ちょっとだけ粉ミルクをのませてしまった」というのがいちいち挫折感として心に刻まれてしまうのではないか。この「100点を取れなかった感」は人によっては相当きついのではないかと思うけど、どうなんでしょう。それともこんなことはまったくの杞憂で、女性はこと出産に関してひ弱な男どもが想像する以上にしたたかなのでしょうか。いずれにしても、出産で心身ともにボロボロの状態で授乳もうまくいかず赤ん坊は泣き続けている──こんなときにそもそも「粉ミルクをあげるべきかどうか」に関して適切な判断を下すのは難しいのではないか、と愚考するのですが。

夜、小児科から電話。数値が下がってきているのでとりあえず入院は見送るとのこと。


12月11日(金)
授乳がうまくいこうといくまいと、結局赤ん坊はガン泣きする、ということがわかる。

我が娘がどこからどうみても大滝秀治にしか見えない件についてAと緊急の話し合いを持つ。


12月12日(土)
赤ん坊は授乳→ガン泣き→睡眠をほぼ一時間半ごとにくりかえしている。僕らもそのサイクルに巻き込まれ、起きている時間も朦朧として何もする気が起きない。


12月13日(日)
朝、タクシーで義母とともにJFKへ。10時半に空港。あらゆる面でフォローしてもらった義母を見送る。本当に助かった。冷蔵庫には和食のストックがたくさん詰まっている。

さて、これから本当に二人きりで乗り切れるのかと一抹の不安をかかえながら、地下鉄で帰る。