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12月14日(月)〜20日(日)
今週は特に書くべきことはない。月曜日に産婦人科でAが産後のチェック。土曜の午後に日本から来たNさんと渡辺と三人で二時間ほどお茶をした以外はただひたすら赤ん坊の世話をしていた。一日のうち自分が起きていて、かつ赤ん坊が寝ているわずかな時間は朦朧としながらパソコンの前に向かい、Twitter上でTLを眺めたりつぶやいたりする程度。

赤ん坊はだいたい二時間おきにギャン泣き、授乳、おしめ替え、睡眠を繰り返している。ただ二時間おき、といってもそれが規則的に続くわけではなく、授乳後にぐずる→なかなか寝付かない→寝かしつけるために試行錯誤→あっという間に二時間経過→おしめ替え→あれ?また授乳の時間?→まだこの娘泣いてるの?→オレたちの睡眠は?→ふりだしに戻る、のくりかえし。世の中には「あまり泣かない赤ん坊」と「ひたすら泣き続ける赤ん坊」がいるみたいだが、どうやらうちは後者。まったく誰に似たのやら。すでに手首が腱鞘炎気味です。

というわけで出産にまつわる雑感を。これでほんとに最後。そもそも「ブログに子供の写真をアップするような人間にだけはなりたくない」と思っていたのにこの体たらくだ。「通常営業に戻る」とまではいかなくても、「少しずつ営業を始める」くらいにはするつもり。

前回のエントリーに対して数人の知人・友人からメールをいただいた。なかでも多かったのは、「自分たちだって粉ミルクまみれで育ったんだからあまり気にする必要はないんじゃない」というものだ。それはまったくその通りで、そのことは実はあまり気にしていない(というより、粉ミルクにしたところで泣く子は泣くので、その点はあまり変わらない)。ただそれとは別に、母乳育児に対抗する修辞として「自分たちだってこうだったから」というのは、「でも15年前は飛行機でみんな煙草吸ってたから」というのと同じくらい説得力をもたなくなっているように思う。別の友人が「知り合いのママさんが完全母乳であることを誇らしげにいうたびに、うちの嫁はキレていた」というように、こうした「自然」信仰が母親のコミュニティー内でいびつなランク付けとして機能しているのではないか。

さらにいうと、この「自然」信仰は「過剰な医療行為」に対する反動として志向されていると思われがちだが、そこに「科学」と「自然」の対立をみるべきではない。いや、もちろんこの「自然」に相当あやしげな思想が入り込んでいるのは確かだけど(水中出産とか。これ僕も聞いたことあります。なんなんすかね>Aさん)、問題はむしろ別の点にある。たとえば授乳に関していえば、Aはかなりひどいアレルギー持ちだが、そうした母親のアレルギーは母乳で育てた方が免疫ができて赤ん坊に出にくい、という医学的な論文が存在する。あるいは前回書いた通り、麻酔を打つことで胎児に影響を及ぼすかもしれない、という科学的な研究がある。だから、ここではむしろ「科学」が「自然」を裏付けるために機能しているというべきだろう。母乳の成分にはこんなにいいものが含まれているという研究結果が日々量産され、それが一般的な育児書を通して広まっている。

ちなみにものの本によれば、アメリカでは20世紀初頭に粉ミルクが広がり、1950年代には母乳で育てる母親はほとんどいなかったようだ(ほんとか!)。今はその揺り戻しがきていて、祖母の世代と母親の世代で育児方針について口論が絶えないとも聞く。

いずれにしても、「科学」に保証された「自然」が〈理想〉として掲げられ、それが母親のコミュニティー内に序列化をもたらしている──これはほんとに厄介だなあ、と思う。まあでも厄介、というのは完全に男目線で、現実はそんなことを考える暇もなくただ赤ん坊に振り回されているだけなんですが。

男目線といえば、この妊娠→陣痛→出産→授乳の過程における男の疎外感ったらない。このプロセスにおいて男はなにひとつ実質的にかかわれない、というのは本当に驚愕すべき非対称性だと思う。だからこそ、男子が思う「適当でいいじゃん」という言葉がしかるべき重みを持って女性に届かない、ということはあるかもしれない。でもなあ、実際には「適当でいい」という選択肢は存在しないような気がする(ようは、泣き続ける赤ん坊をあやすかほっておくかしかなくて、このほっておくのも神経がすり減るんです)。

僕らは日本での出産を経験していないので、アメリカと比較してどうというのは簡単にはいえないが、やっぱり産後48時間で退院というのは過酷だと思った。Aの出血が普通より多かったというのもあるし、それを差し引いても何もわからない状態で追い出されるのは単純に不安です。最初はこの慣例が悪名高い保険制度と絡んでいて、ようは病院に長く滞在することで保険会社の出費がかさむからだと思っていたのだが、冷静に考えてみるとそれだけではないように思う。当たり前だけど、ここにはヨーロッパ系の人々だけでなく、アフリカ系やユダヤ系、それにヒスパニック、アラブ系、アジア系の人々がいて、それぞれの家庭がそれぞれの文化にもとづいて出産、育児を経験している。つまり新生児をどのようにケアするかについて統一的な作法が存在しないのだ。日本では産後一週間かけて新生児の扱い方をひととおり教わるそうだが(というか、たしか弟のときはそうだったような気がする)、その「扱い方」の文化的コンセンサスがない以上、病院としてはさっさと退院してもらうしかないわけだ。そういえば、陣痛が始まって深夜に病院に駆け込んだとき、たまたまAがマタニティ・ヨガの教室で一緒だったインド人の妊婦と一緒になったのだが、あちらは「親戚一同勢揃いかよ!」というくらい大人数(10人以上?)で出産を迎えようとしていた。

それと少しだけ関係することで個人的なことをいえば、今回の経験で初めて「アジア系」というくくりの意味が実感できた。僕が所属している日本アメリカ文学会でも「アジア系アメリカ文学」を研究する方々がいる。でも、日本にいるときはこの枠組みの存在意義がいまいちよくわからなかった。アジア系といっても中国も韓国も日本も全然違うんだし、それを一緒くたにすることにどういう意味があるのか、と正直なところ思っていたのだ。ところが、こちらにきてみて「アジア系」というくくりが実生活において有効に──というか、切実に──機能していることに気がついた。病院でも、たとえば中国系や韓国系のナースは、真っ先に僕らの赤ん坊を見て祝福してくれる。"She's definitely Asian!"といって無条件にシンパシーを表現してくれるのだ。そして、それは先ほどの「過酷さ」の裏返しなのだと思う。真の多文化社会に伴う殺伐とした厳しさ──この「過酷さ」を少しでも緩和する装置として「アジア系」という「想像の共同体」は要請されている。

出産直後、僕らは泣き止まない赤ん坊を前に動揺し、藁をもつかむ思いでナンシーさんのもとを訪れた。そのとき、満面の笑顔で迎えてくれた韓国生まれの元助産婦(御年83歳)は「韓国では産後一か月間は毎食これを食べるのよ」といって大量のわかめが入ったスープを作ってくれた。涙が出るほどおいしかった。