『アメリカ音楽史』刊行に寄せたエッセイ

ニューヨークに滞在した二年間、さまざまな媒体に文章を書かせていただきましたが、下記のエッセイは帰国直前に講談社『本』に寄せたものです。震災や原発の信じられない映像をパソコンの画面で見ながら書いた最後の「紐育滞在記」になります。


もっともアメリカ的な音楽家

 帰国を10日後に控えた3月5日、マンハッタンのタウンホールでランディ・ニューマンのコンサートを観ることができた。
 今年で90周年を迎えるタウンホールはミュージカル劇場が並ぶブロードウェイ界隈で異彩を放っている。もともと、それは女性参政権の拡張をめざす団体の集会場として建てられたのだ。世紀転換期のアメリカを代表する建築事務所マッキム、ミード&ホワイトが手がけたボザール様式のホールにはボックス席がなく、どの座席からもステージがしっかりみえるように設計されている。そこには、女性の「声」を顕在化させる劇場に込められた「平等」や「民主主義」の理念を読みとることができるだろう。
 定刻が近づくにつれ、それほど広くはない会場が徐々に賑わいをみせる。50代の男女が客層の中心だろうか。やがて客席の照明が落ちるとステージ下手から主役が現れ、割れんばかりの拍手に押されるようにグランドピアノの前に腰掛けた。一瞬、会場が静寂に包まれたあと、コンサートはアルバム『ボーン・アゲイン』(1979)の一曲目「イッツ・マネー・ザット・アイ・ラブ」で幕を開けた。
 その一週間前、ランディ・ニューマンは全米の注目を浴びながらハリウッドのコダック・シアターで演奏していた。『トイ・ストーリー3』の主題歌「僕らはひとつ」で二度目のアカデミー賞(最優秀歌曲賞)を受賞した彼は、今では映画音楽家としてのキャリアで知られている。『トイ・ストーリー』三作品すべての音楽を手がけ、『モンスターズ・インク』(2001)の主題歌「君がいないと」でオスカーを受賞し、『バグズ・ライフ』(1998)、『カーズ』(2006)、『プリンセスと魔法のキス』(2009)も担当するなどピクサー/ディズニー系の仕事が目につくが、これまでアカデミー賞に20回ノミネートされた実績はすでに巨匠の名にふさわしいといえるだろう。
 あるいは往年のハリウッド映画のファンであれば、その名をかの有名な「ニューマン・ファミリー」と結びつけ、20世紀アメリカ映画を彩るサウンドトラックに想いを馳せるかもしれない。ランディの伯父アルフレッド・ニューマンは『わが谷は緑なりき』(1941)や『七年目の浮気』(1955)などの音楽を担当し、アカデミー賞を9度受賞(ノミネートは40回以上)した映画音楽の大家である。もうひとりの叔父ライオネルも『紳士は金髪がお好き』(1953)などを手がけた作曲家であり、アルフレッドの息子でランディの従兄弟にあたるデイヴィッドとトーマスも現在、映画音楽家として活躍している。
 だが1968年のデビュー以来、10枚以上のオリジナル・アルバムを発表してきたシンガー・ソングライターとしての活動を知るファンは、ランディ・ニューマンの音楽がディズニー映画のように家族全員で楽しめるものばかりでないことを知っている。その曲の多くは、ときに辛辣でアイロニーに満ちた、たとえようもない居心地の悪さを聴き手に強いるのだ。
 コンサートの5曲目に披露されたのは1977年のヒット曲「ショート・ピープル」である。この上なく軽快なメロディーに乗せて「身長の低い人たちはこの世に生きている価値はない」と歌われるこの曲は、発表当時多くの非難を浴び、放送を禁止するラジオ局も現れた。ほかにも代表曲「セイル・アウェイ」(1972)で彼は奴隷船の船長になりすまし、船上の黒人奴隷に向けて次のように語りかけている。「アメリカには食料がたっぷりある/ジャングルのなかを走り回って足に擦り傷をつくることもない/一日中ワインを飲みながらキリストのことを歌えばいい/アメリカ人になることは素晴らしい。」
 ランディ・ニューマンは、こうして架空のペルソナを用いて皮肉や風刺に満ちた歌詞を歌うスタイルを持ち味とする。驚いたのは、「ショート・ピープル」を演奏中、会場の観客が声を上げて笑っていたことだ。表向きにはかたくるしいほど政治的正しさにこだわるアメリカ人が、こうして自らの差別感情を題材にした楽曲を笑い飛ばす様子にこの国の奥深さをかいま見た気がした。
 ステージに目を向けながら、私はニューヨークに滞在した二年間で書き上げた『アメリ音楽史』(講談社選書メチエ)のことを考えていた。19世紀のミンストレル・ショウからブルース、ジャズ、ロックンロールを経てヒップホップにいたるアメリカの大衆音楽について論じた本書で、私はいくつかの主題を提示している。そのひとつは、アメリカのポピュラー音楽を駆動してきたのは「他人になりすます」欲望であるという仮説である。
 ポップスやロックについて考えるとき、私たちはそれが「自分のことを歌う」音楽であると当然視しがちである。だがこうした素朴な実感に反して、200年におよぶアメリカ大衆音楽史を貫くのは、人種や階級を偽り「他人に成りかわって」歌う伝統であり、「仮面をかぶる」という間接性を表現の中心に据える文化である。その意味で──私は本書でその名に一度も言及していないが──ランディ・ニューマンはもっとも「アメリカ的」な音楽家のひとりであり、私は本書を執筆中いくどとなくその音楽に耳を傾けた。そして、歴史的に抑圧されたものの「声」を象徴するホールでそのステージを観る機会に恵まれる幸運を、私はしみじみとかみしめていた。
 コンサートの終盤に観客がひときわ大きな反応を示したのは「ルイジアナ1927」である。アルバム『グッド・オールド・ボーイズ』(1974)に収録されたこの曲は、1927年のミシシッピ大洪水について歌ったものだ。140ヶ所以上の堤防が決壊し、南部を中心に甚大な被害をもたらしたこの洪水によって多くの死者が出たといわれている。
 実は、この曲はハリケーンカトリーナ襲来後の復興コンサートなどで盛んに演奏されたのだ。アラン・トゥーサンドクター・ジョンなどニューオーリンズにゆかりのある音楽家が参加したチャリティー・アルバム『アワー・ニューオーリンズ』(2005)の最後を飾るこの曲は、多くの観客に悲劇の記憶を呼び起こしたにちがいない。
 私は『アメリ音楽史』の最終章をこのハリケーンカトリーナの挿話から始めている。アメリカ音楽の源泉地ともいえるニューオーリンズを襲った自然災害によって「文化」や「歴史」の語り口にどのような変化があらわれたか──音楽ジャンルの「正史」がいかにして構成されるのかをいまひとつの主題とする本書にとって、この2005年の災害は決定的に重要だったのだ。
 叙情的なイントロで始まる「ルイジアナ1927」はゆっくりとしたテンポで洪水の様子を淡々と描写する。「セイル・アウェイ」を思わせるメロディーは二つの曲の連続性を暗示し、1927年の災害が奴隷制の時代にまでさかのぼる南部と北部の対立を露にしたことが示される。この曲には、北部の発展のために犠牲を強いられた南部の不信感と悲哀が込められている。
 「ルイジアナルイジアナ/彼らは僕らを押し流そうとしている/彼らは僕らを押し流そうとしている。」サビでくり返されるリフレインの「彼ら=They」が誰、あるいは何を指すのかについて、語り手は最後まで明らかにしない。古き良きハリウッド映画のような痛切なメロディーとともに、ランディの南部訛りの声が静かに、そして重く響きわたっている。
 They are trying to wash us away, they are trying to wash us away.
 この曲がタウンホールで流れたとき、私はこれから帰国しようとする土地がこれほど大きな惨禍に見舞われるとは、想像すらしていなかった。

(初出:『本』第36巻第5号[2011年5月号]講談社、59-61頁)


アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで (講談社選書メチエ)

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