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10月26日(月)
夜、訃報が届く。学生時代のサークルの二つ上の先輩が事故でなくなったのこと。

その先輩とはサークルで何度も顔を合わせていたものの、どこかつかみどころがなく、はぐらかされてばかりいたような気がする。いつも笑顔で、でもその笑顔が本心なのかどうかも曖昧で、かといって悪意があるわけではないことだけは確かで、ふとあらわれてはいつのまにかいなくなっている、そんな印象だった。

そんな先輩と、二年前にひさしぶりに会った。卒業以来、ほとんど顔を合わせていなかったのだが、先輩がある事業を始めるというので声がかかったのだ。

待ち合わせ場所に指定されたのは、都心の高級ホテルのロビー。そういえば会社でも非常に優秀で早くから出世していたという。秘書の女性を連れて現れた先輩は、学生のときと変わらない笑顔で迎えてくれた。ひとしきり昔話に花を咲かせたあと、「近くまで歩こう」というので三人で外に出た。向かった先は、ぼくが足を踏み入れたことがないような高級マンション。そのまま高層階にある共同スペース(というところなのか?)に案内された。夜景がとてもきれいだったのを憶えている。

鞄のなかから資料を取り出し、先輩は事業のコンセプトについて説明してくれた。それはぼくが思いもよらないアイディアで、聞きながら少なからず興奮した。と同時に、なにかに巻き込まれてしまうのではないかという怖さのようなものも感じた。二時間ほど話をしたあと、別れぎわに「一緒にがんばろう」と言葉をかけてもらった。

結局、ぼくは踏ん切りがつかず、先輩と会ったのはそれが最後になってしまった。その事業にどのようにかかわればいいのかわからなかった、というか、たぶん、先輩が放つ熱と速度を前にしてひるんでしまった、というのが正直なところだと思う。

心よりご冥福をお祈りいたします。


10月27日(火)
The Known Worldは読み終わらなかった。しかも〆切が少々迫っているのでセミナーはパス。ひたすら図書館にこもる。ちなみにTwitterで知ったのだが、この作品の翻訳が決まったようです。すばらしい&がんばってねー>Oさん。

The Known World: A Novel

The Known World: A Novel

西さんとAは18時半からはじまるジュンパ・ラヒリとゲイリー・シュタインガートのトーク・ショウに行っていた。ジュンパ・ラヒリについてはもはや解説は必要ないだろう。最新作、Unaccustomed Earthは大学院セミナーの課題図書にもなっている。ゲイリー・シュタインガートはロシア(旧ソ連)出身で、7歳のときにアメリカに移住した作家。これまでにThe Russian Debutante's Notebook (2003)とAbsurdistan (2006)の二作を発表している。実は、セミナーでは二週間だけ前もって作品が指定されていない週があって、学期のはじめに院生が投票で決めたのだが、そのときに候補のひとつとしてAbsurdistanが挙がった。結局、最終投票で落選してしまったのだが、面白そうな作品です。

Unaccustomed Earth

Unaccustomed Earth

Absurdistan: A Novel

Absurdistan: A Novel

トーク・ショウ帰りの西さんとAとコロンビア大学前で落ちあい、タクシーで100丁目とアムステルダム通りの交差点まで。以前に鈴木晶さんご夫妻に教えていただいたハイチ料理の店に行ってみる。小さなお店で予約は基本的に受け付けないとのこと。ハイチアン・クレオール料理(というのでしょうか)を堪能。おいしかった。

夜、DVDを観る。


10月28日(水)
午前中、家を出る。アパートの外に出たところでタバコを忘れたことに気づく。部屋に戻る(一度目)。もう一度家を出ると、今度は近くの信号にたどり着いたところでイヤフォンを忘れたことに気づく。なくなく部屋に戻る(二度目)。さらにアパートを出ると、捨てるはずのゴミ袋(さっきまで持っていたのに!)を入り口に忘れたことに気づいてまた戻る(三度目)。だんだんイライラする。ゴミ袋を捨てて、駅に向かう途中で定期入れを忘れたことが判明する。天を仰ぐ。でも仕方がないので家に戻る(四度目)。定期入れを持ってほかのポケットも確認して、深呼吸を一度してから外に出る。コロンバス・サークルの駅まで歩いて(7分)地下鉄の1ラインに乗って116丁目で降りて(20分)いつものバトラー図書館の閲覧室に入って(5分)鞄をおいて上着を脱いで椅子に座ってさあ気を取り直して始めようと思って鞄をあけるとパソコンを忘れていた。信じられない。机にうっぷす。30分後、ようやく気を取り直して音楽学科の図書館へ。ひたすら資料のコピー。16時ごろ帰宅。

夕方、自宅に西さんが来る。少しだけ三人でお茶をしたあと、二人はダウンタウンへ。ぼくは留守番。西さんは明日の飛行機で帰国の予定。

夜、DVDを観る。寝る前に、いけないと思いつつ、以前に日本から買ってきてもらったままになっていた桐野夏生『IN』を読みはじめる。とまらない。推理小説としてもフェミニスト小説としてもメタフィクションとしても成立している。この内容をここまで「作品」として仕上げたという点に感服する。


10月29日(木)
Aの元上司でぼくらの結婚式二次会の司会をしてくださった山内さんがニューヨーク・シティ・マラソンを走るために来訪。夕方、タイム・ワーナー・ビルの前で待ち合わせてご挨拶。みなさんは食事会へ。ぼくはそのまま74丁目とブロードウェイにあるフェアウェイ*1で買い物。鈴木晶さんも書いてらしたが、ぼくもホール・フーズよりこっちのスーパーがなんとなく気に入っている。店内は雑然としていてドンキみたい。

帰宅して荷物を置いてからタイムズ・スクエアまでとぼとぼ歩く。Snoop Dogg, Method Man, Redman@Nokia Theater Times Square*2



前座はおなじみのメソッド・マンレッドマン。先日のUゴッドに比べればよかったけど、二人の掛け合いがコントみたいだった。22時半ごろ、ようやく主役のスヌープ・ドッグ登場。すばらしい。なんだこの圧倒的なメジャー感。ちなみにノキア・シアターではけっこうライブをやっていて、これまでもブラック・スターやデ・ラ・ソウルをみにきている。それぞれとても楽しかったのだが(そしてファンも盛り上がっていたのだが)、なんだか90年代でとまっている感じがして煮え切らなかった。スヌープももちろん90年代の人ではあるのだが、やっぱり現役感がある。生バンドと女性ダンサーをしたがえてくりひろげられるステージ。どこまでもレイドバックしたフロウと「抜け」の良いラップ。金属的な声色が会場の空気をふるわせる。興奮しました。


しかしスヌープが醸し出す色っぽさって誰かに似てるなあとずっと思ってたんだけど、高校時代の不良の先輩だということが判明した。怒らせるとめちゃめちゃ恐い集団の脇で、いつも冷めた表情でにやついている。やたらと女性にもてて、決して喧嘩には参加せず、でもなぜか不良のリーダーに信頼されている。そんなタイプ。

それでも、やっぱりこの曲↓だけは生バンドではぜんぜんダメでした。ヒップホップにハマりはじめたころ当時のゼミ生に教えてもらった曲。2004年のビルボード・チャートで三冠を達成(ラップ、R&B、ポップスのチャートでそれぞれ1位獲得)。曲がすばらしいのはいうまでもないけど、この曲がポップス・チャートの1位になる、というのが面白い。ようするに変なことや前衛的なことをやる人はいつの時代にも一定数いて、でもそれが(ネプチューンズのトラックが前衛的というわけではないが、極端にミニマルであるとはいえる)「一番売れる」というのが驚異。かっこいいなあ。

闇金ウシジマくん』を読み始める。こちらにきて漫画に飢えているAが西さんにむりやり頼んで買ってきてもらったもの。あんまりな話の連続に気持ちがすさむ。桐野夏生の『IN』のあとに『闇金ウシジマくん』を読むと心の潤いがなくなります。だいたい数ある漫画のなかからどうしてこの作品を「おみやげ」として選んだのか、Aの感性を激しく疑う。でもやめられない。世界はギャル汚くんとフーゾクくんでできている、との確信を深める。


10月30日(金)
夕方まで大学図書館。それにしても・・やっぱりむりだ。いくらでも文献がでてくる。こんな無茶な依頼をしてきたMくんをつくづく恨む。と同時に自分のダメさ加減を思い知る。

夜、『ビリー・エリオット*3を観にいった山内さんとA、あとぼくの中学時代の同級生でニューヨークで10年以上仕事をしている渡辺裕子(とうか、こっちにきてからあらゆる面で世話になりっぱなしです)と合流して8アベと50丁目にあるThalia*4へ。


10月31日(土)
あるプロジェクトの担当責任者から連絡があり、提出すべき梗概をあわてて仕上げて送る。

18時ごろ家を出て7アベまで歩く。NラインでNYUまで。セント・マークス・ブックショップ*5の隣にある和食Hasaki*6へ。このあたりは和食屋がそろっている通りだが、なかでも老舗のひとつ。山内さん、A、渡辺の四人。うな重を食べる。

夜、DVDを観る。


11月1日(日)


ニューヨーク・シティ・マラソン。12時半ごろ家を出てセントラル・パークまで。つい最近まで知らなかったのだが、このマラソン、スタートはなんとスタッテン島。そこからブルックリン、クイーンズと北上し、クイーンズボロ・ブリッジをわたりマンハッタンの1アベをさらに北上、ブロンクスを少しだけかすめてから5番街を南下、そしてセントラル・パークを抜けてゴールするというコース。ぼくらが陣取った場所はほぼゴール前ということで、沿道には屋台が並び生演奏のバンドがランナーを盛り上げていた。それにしてもこんな混雑のなかほんとにわかるのかしらと半信半疑になりながら、目印の風船をあげ、山内さんが駆け抜けるのを待ち受ける。コースの脇ではボランティアのおじさんがメガホンでひっきりなしにランナーを激励しているのだが、それがあまりにもアメリカンなので笑う。

"Two more miles to go!(あと2マイル!)What a wonderful experience!(なんてすばらしい経験!)What a wonderful accomplishment!(なんてすばらしい達成!)"


どこまで自分を解放すればこのようなかけ声を出すことができるのか、それにしてもアメリカ人はがんばっている人を応援するのが好きだなあ・・・と思っているうちにAと渡辺が「来た!」と叫ぶのであわててコースに目をやると、山内さんが走ってきた。かなり速いペース。あとで聞いたところ、ニューヨーク・マラソンはアップダウンが激しいのでだいぶ消耗するとのこと。

山内さんを見届けてから、一瞬だけ大学図書館へ。さらに資料をコピー。

夕方、先日も訪れたバワリーのCongee Bowery*7で完走祝賀会&慰労会。四人で中華料理をつつく。その後、タクシーで7アベとブロードウェイ沿いのMaison*8でもう一杯。深夜過ぎ帰宅。