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11月2日(月)
14時、病院。とても混んでいた。

山内さん最後の夜、ということでステーキを食べにいく。18時ごろ家を出てNラインでキャナル・ストリートまで。そこでJラインに乗り換えてブルックリンのマーシー・アベニュー。駅を降りて線路沿いにマンハッタン方面に戻ると右手に巨大な看板が見えてくる。1887年創業のピーター・ルーガー。*1



ニューヨークを代表するステーキハウスである。最近はマンハッタンにもうまいステーキを出す店はいくらでもあるようだが、ここは洒落っ気無しの本格派。メニューも付け合わせの野菜やポテト以外は「ステーキ(二人前)、ステーキ(三人前)」といった表示のみ。店員もほぼ全員男性(おっさん)で、非常に男臭い店。待ち合わせ場所で、偶然にもM社Sさんご一行とばったり遭遇。肉は本当に美味しかった。

その後、Jラインでマンハッタンに戻り、今度は6番でアスター・プレイスまで。Maria Muldaur@Joe's Pub*2

せっかく最後なので音楽でも聴きにいこう、と事前にTime Out New York*3で調べていたのだが、あいにく月曜日はジャズクラブは休みのところが多く、めぼしいのがやっていない。ページをめくるとマリア・マルダーという名前が目に入った。うーん、どうだろう、たしか数年前に日本でもツアーをやっていたような気がするけどだいぶおばあちゃんなのではないだろうか大丈夫かと逡巡しつつ、でも一度は観ておきたいので思い切って予約した。

このジョーズ・パブ、渡辺によるといわゆる「シングルズ・バー」としても有名みたいで、ようするに出会いを求めてひとりでくる男女が多いお店らしい。でも今晩ばかりは往年のファンが勢揃いで年齢層も高い。テーブルはステージの目の前。すでにバンドのメンバーがセッティングをしていた。ウォッシュボードやバンジョーなど、完全にジャグ・バンド・スタイル。お、期待できるかもしれない、と思っているうちに演奏が始まり、マリア・マルダーが登場した。

うううううん。完全に場末のオバちゃんになってた。酒とタバコの呑み過ぎか、声はガラガラ。若手で編成されたバンドもいいんだけど、いかんせん演奏が重い。疾走感ゼロ。途中でとまるかと思った。


こういうのはやっぱり「ウォーキン・ワン&オンリー」(『マリア・マルダー』所収)みたいに圧倒的に前のめりで演奏するとかっこいいのに。たしかにブルースっぽい曲は迫力がある。でもこれで「真夜中のオアシス」を唄われても困るなあと思っていたらMCで「みんな〈真夜中のオアシス〉を聴きたがってるんだろうけど、あたしゃきょうは唄わないからね」だと。いや、すみません、ほんとにこちらの期待が高すぎました。でもこういうの聴くとやっぱり凹むなあ。

何度も言ってるからいい加減しつこいといわれるかもしれないが、もともと出不精ということもあって日本ではあまりライブには行ってない。せっせとCDを買って部屋で聴いていればこのうえなく幸せなのです。でも、せっかくこっちにいるので頑張ってライブに通うようにしている。いや、ほんと頑張ってるんすよ。誰に頼まれたわけでもないのに。ほんとは家から一歩も出たくないんすよ。それなのにこういうのみるとやっぱりレコードとCDでいいんじゃないの?と心の底から思う。「せっかく」に起因する貧乏性的な行動への自己嫌悪。

そもそもライブのどこがいいのか。みんな会場の一体感が好きなだけではないか。アーティストと同じ空間を共有しているぼくたちわたしたち。最近はみんなウソ(疑似)でも同期したいっていうしね。でもそれって音楽を個人的な「経験」に落とし込みたいだけではないか。「批評」が衰退して「ライブや朗読会」が盛り上がってるのはちょうどコインの裏表で、みんな「経験」に回収したいだけなんだと思う(でも書店での朗読会とかはもっともっとやった方がいいと思う)。それってウォルター・ベン・マイケルズがこの本でいってることだよね?http://d.hatena.ne.jp/adawho/20061118

シニフィアンのかたち―一九六七年から歴史の終わりまで

シニフィアンのかたち―一九六七年から歴史の終わりまで

「経験」に落とし込まれる場所に「解釈」は存在しえないってさ。「あの場所で、ぼくは、こう感じたから!」っていうのはようするに「ぼくはこう読んだ。なぜなら、ぼくは、アフリカ系アメリカ人だから!」っていうのと同じで「あ、そう」っていうしかないよね。それが「正しい」とか「間違っている」とかそういう話ではなくなるよね。だから「テキストの解釈」=「意見の不一致」が成立するためにはウソでも「作者の意図」を立ち上げないといけない、とかそんな反時代的な話になってしまうんじゃない・・・え?Perfumeの武道館?もちろん会場と一体となって号泣しましたとも。今後30年は「あの場所で、ぼくは、こう感じた!」ってみんなに言いふらしますとも・・・ってあれ?なんだか話が全然ずれてるな。

とにかく、綿密にスタジオで組み立てられた曲の方がいいに決まっているじゃないか。レニー・ワロンカーとジョー・ボイドのディレクションのもと、マリア・マルダーの艶っぽいボーカルの背後でニック・デカロが編み出すストリングスが華麗に舞い、間奏でエイモス・ギャレットの星屑のようなギター・ソロが流れる(これだけでペットボトル一本分は泣ける)。そしてリー・ハーシュバーグのやわらかいサウンド・エンジニアリングが全体を包み込む。それでこそ、あの「真夜中のオアシス」なのではないか。違うのか?もう一度声を大にしていう。ライブのどこがいいのか!?あああああ。

Maria Muldaur

Maria Muldaur

などといつになくネガティブ思考全開の状態で終演。山内さん、申し訳ありませんでした。今度はもう少しかっこいいの選びます。深夜過ぎに帰宅。


11月3日(火)
本日エレクション・デイにつき大学は休講。ニューヨーク市長にブルームバーグさん再選。

DVDを観てJhumpa LahiriのUnaccustomed Earthを読む。


11月4日(水)
昼間、Aが通う学校で知り合った韓国出身の政治学者と昼食。ぼくと同じ立場でコロンビア大学に滞在しており、最近は朝鮮半島の安全保障を研究しているとのこと。長らくパリに留学した経験があるようで、アメリカとフランスのアカデミーの違いなどを教えていただく。

どうやらワールド・シリーズで松井が大活躍したらしい。

買ったままにしていたルーファス・ウェインライトのDVDを観る。

ミルウォーキー・アット・ラスト! [DVD]

ミルウォーキー・アット・ラスト! [DVD]

アンコールの"I Don't Know What It Is"が泣けて泣けてしょうがない。

DVDを観てJhumpa LahiriのUnaccustomed Earthを読む。


11月5日(木)
一日中机にかじりついて、ようやく遅れに遅れていた某学会用のレビュー論文を仕上げて送信。


11月6日(金)
昼、洗濯をしにいく。ニューヨーク(とくにマンハッタン)では家のなかに洗濯機をおかない。もっと高級マンションだとフロアごとにランドリー・スペースがあったりするようだが、ぼくらのところはそんなものはないので、毎回近くのコイン・ランドリーまでいかなければならないのだ。この年になってなんだか学生みたいです。洗濯機をまわしている間にエイミーズ・ブレッド*4でパンを買う。


11月7日(土)
夜、ひさしぶりに実家とSkype。DVDを観てJhumpa LahiriのUnaccustomed Earthを読む。


11月8日(日)
13時ごろ、前回と同じように地下鉄で191丁目。大人の階段をのぼる教室第二回。なんかすごいものみた。夕方まで。

夜、学会の発表を終えた真理さん来訪。ホテルで待ち合わせ、近くの中華料理屋で食事をする。