エディ、シベ少、バベル

ここ数日の出来事。

土曜日はSさん、Eさんとエディ・リーダー恵比寿リキッドルーム。もう何もいうことなし(by Sさん)。ロックはこのようにオトナになるべし、といった模範例。楽器陣の卓越したミュージシャンシップとコブシが効いたエディのヴォーカルが要所で音楽的な化学反応を起こして心地いいことこの上なし。トラッド色をますます強めた最新作『Peacetime』からフェアグラウンド・アトラクション時代のヒット曲まで、余裕綽々と歌い上げる。途中、PAのトラブルに見舞われたりしたものの、まったく動じることなく中村俊輔のユニフォームを取り出して応援歌を歌いだすなど茶目っ気たっぷりのステージ(エディはスコットランド出身)。会場のお客さんも温かくて(というよりしつこくて)、アンコール終了後に客電がついたあとも誰一人として帰ろうとせず、メンバーを引きずり出してダブル・アンコール。それにしてもかわいらしいおばちゃんでした。

ピースタイム

ピースタイム

日曜日はシベリア少女鉄道*1『永遠かもしれない』@池袋シアターグリーン。まだ公演が始まったばかりなので内容については伏せますが、今回は役者さんが本当に素晴らしかったです。二年前にシベ少について書いた文章の中で(「狭間の少女─シベリア少女鉄道と演劇の臨界」『ユリイカ』2005年7月号(特集*この小劇場を観よ!))、「決して達者とは言いがたい役者の演技」と述べましたが、あっさり撤回させていただきます。もちろん誤解のないように付け加えると、これを書いた当時も今もわたしにとってシベ少がもっとも才気走った「過激な」(しかもポップな)劇団であることにかわりはなく、だからこそ「類型化」と「反復」を突き詰めたところに「笑い」と「不気味さ」を見出すシベ少の構造を活かしつつ、そこで役者がいかに存在感を示すのかという問いにこれほど明晰な回答を提示した今回の作品は画期的だと思う。前畑陽平、篠塚茜の(文字どおり)鬼気迫る演技も良かったし、客演の吉原朱美(ベターポーヅ)が楽しそうに演じていたのが印象的。

昨晩は非常勤先に出講したあと学生数人と『バベル』@渋東シネタワー。この監督(アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ)の前作『21グラム』はここ数年観た映画の中でもっとも不愉快な作品だったので、事前に学生には「観終わったあとヘドロのようにぶつぶつ文句を垂れ流す可能性あり」と警告しておく。結論からいうと、思ったよりは良かったが・・というところ。ついでにいえば、2005年度アカデミー賞受賞作『クラッシュ』も『ナイロビの蜂』もイライラしっぱなしで、これをいうと知人に「あなたはコジャレた社会派映画が嫌いなだけでしょ」と一蹴されました。たしかに『レディ・イン・ザ・ウォーター』はどうみても「コジャレた社会派映画」とはいいがたい・・。でもそんなことは抜きにして一つだけいうと、ある社会的な問題を扱っているように見せかけて(『クラッシュ』ならアメリカのマイノリティ問題)、その実、その作品そのものがそうした問題(『クラッシュ』でいえば人種的/民族的ステレオタイプ)を再生産/強化しているだけというのは、やはりそれ自体が「問題」だろうと。むりやりシベ少の話と繋げるなら、「笑い」も「不気味さ」も、ましてや「アイロニー」もない「類型化」は、たんに陳腐なだけであって、それは今回の『バベル』にもいえるのではないか。